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けいはんなフィルの演奏会でカリンニコフの交響曲第2番を聴いてきました

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 ロシアの作曲家V.S.カリンニコフが遺した2曲の交響曲のうち、ようやく脚光を浴びだした第1番と比べると、どうしても影が薄い第2番。しかし、ついに演奏会で生の演奏を聞く機会がやってきました。昨日京都府けいはんなホールで行われた、けいはんなフィルハーモニー管弦楽団の演奏会です。

 

 

 カリンニコフについては以前書いたことがありますので、「誰?」という方はぜひそちらをお読みいただければと思います。

 

3710920269.hatenablog.jp

 

 せっかくですので、関連エントリもよろしければ。

 

3710920269.hatenablog.jp

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 交響曲第2番イ長調は1895年から97年にかけて作曲され、翌98年に初演された作品です。第1番と比べてカリンニコフの作曲技術が大きく進歩したのが伺える秀作なのですが、その分第1番のような素朴な魅力は薄くなっており、人気も第1番ほどとは言えません。とはいえ、手が込んでいる分、何度も聴き返し、あるいはスコア(楽譜)を読んでいく中で、その魅力が理解され、かけがえのないものになっていくという、いかにもクラシックな音楽作品であることは間違いありません。ちなみに、スコアはIMSLPでパブリックドメインとして公開されています。

 

■ Symphony No.2 in A major (Kalinnikov, Vasily) - IMSLP/Petrucci Music Library: Free Public Domain Sheet Music

 

 カリンニコフの交響曲第2番は、交響曲としては標準的な4つの楽章から成りますが、その構成は非常に緻密です。そんな緻密さは、演奏会の場で実際の演奏に触れることであらためて確認できました。以下、演奏の感想も含めて述べていきたいと思います。

 

第1楽章:Moderato(中ぐらいの早さで) - Allegro non troppo (快活過ぎず)

 弦楽器が全員で奏するイントロ部分から始まります。このうち冒頭の3つの音、C# - E - F#(移調読みでミーソーラ)からなる音型は曲全体で登場し、交響曲の統一感を高めています。その意味では、あまりに短い音型ながら、循環主題の一種と言えそうです。

 この音型はイントロからソナタ形式のメイン部分に入ってすぐ提示される、明るく着実な第1主題で早速使われますが、その第1主題によって盛り上がった音楽が勢いを落とすと、第1主題とは対照的に物憂さを長々とつぶやくような、それでいていちどその魅力に囚われたら離れられない第2主題が現れ、以下この2つの主題を活用して、この楽章が繰り広げられていきます。

 この曲を演奏する際のアプローチは大きく2通りに分かれるようです。1つはクチャル/ウクライナ国立交響楽団のように徹底的に歌い上げるもの、もう1つはスヴェトラーノフ以下ロシアで育った指揮者のように、音量や音の発し方で勢いを高めていくものです。この日の演奏はどちらかというと前者のように感じられましたが、それでも要所で後者のスタイルが顔を出したような気もします。

 

第2楽章:Andante cantabile(歌うように、歩く速さで)

 落ち着いた緩徐楽章。静まった中で第1主題冒頭の音型から続く主題をイングリッシュホルンが語っていきますが、その語りは穏やかながらどことなく哀しさを帯びています。しかしその語りが終わると、そんな哀しさに反応するような優美な旋律を弦楽器が示します。さらには第1楽章イントロを活用したホルンのパッセージも加わり、音楽は次第に勢いを増していきます。ただその勢いも醒めていき、再び静けさを取り戻した中で、楽章は穏やかに閉じていくのですが、結末は長調から短調に転じ、どことなく割り切れない思いを残していきます。

 

第3楽章:Allegro scherzando(スケルツォ風に速く)

 第2楽章とは一転して、快活なスケルツォ。個人的には第1番の第3楽章よりも推しています。この楽章としては典型的な3部形式で、第1楽章冒頭の音型を基にした(1音追加されていますが)テーマが躍動的な合いの手を伴って進んでいくメイン部分と、それまでの楽章のテーマを応用した緩やかな中間部から成ります。中間部が静まりきるとメイン部分にいきなり戻り、最後はテンポこそ同じですが加速感を高めながら一気に結びへとなだれ込みます。おそらく技術的にはかなりの難所で、プロオケの演奏でも醜態をさらすものがあるだけに、この楽章を乗り切ったのを聴いた直後は安堵に近い感情も湧くものです。

 

第4楽章:Andante cantabile(歌うように、歩く速さで) - Allegro vivo(活き活きと速く)

 第2楽章が戻って来たかのようなイントロに続いて、弦楽器がいきなり快活なテーマを持ち出します。そこから盛り上がったところでテーマが全容を表すと、続いてチェロとホルンが息の長い第2のテーマを奏します。この2つのテーマが交互に登場しつつ、これまでの楽章の素材も随所に顔を出しながら、楽章がいったん頂点に達したところで、第1楽章のテーマが還ってきます。そこから第1楽章、第3楽章、なおも過去の楽章の旋律が投入されて曲は拡大していった先に、圧倒的な結末を迎えます。

 ……というので、聴く者にとってはカタルシスを覚える、まことに魅力的な楽章なのですが、演奏者にとっては最後の最後を乗り切るための体力を温存しなければならないのに、それまでの各所で消耗を強いられるという、ダブルバインドに近い状況になるわけです。とりわけ金管楽器、トランペットの苦労は並々ならぬものがあったはずで、とにもかくにも、お疲れ様と言いたいです。

 

 そんなわけで、第2番は演奏者に対しても第1番よりはるかに技術・体力を要求する作品でもあります。プロのオーケストラによる録音でも、そのような要求にまるで応えられていないものがあります(そういうCDがまた高いんだ……)。

 おそらくそういう理由もあって、第2番が演奏会で取り上げられる機会は、私自身が聴きに行ける範囲では今までありませんでした。それが今回、初めてプログラムに載ることを知ったのです。驚きもしましたし、喜びもしましたし、演奏するのが設立最初の演奏会でカリンニコフの第1番を取り上げた「あの」けいはんなフィルということで、まぁ、納得もしました。

 ただ一方で、練習時間の限られる市民楽団がこの難曲にどこまで立ち向かえるのか、不安を感じていたのも白状します。その不安は、オープニング、サブメインを終えた休憩が終わっても、いや第1楽章のイントロが始まっても消えませんでした。

 しかし、その不安は、演奏そのものによって消えていきました。第2番が、今目の前で繰り広げられているのです。初めて聴いてたちまち魅了された作品に、20年以上経って、こうしてやっと直接会えたのです。その感動は、何物をも上回るものでした。

 もちろん、そんな感動は相応の水準の演奏でなければ味わうことはできません。曲のあらゆる部分に置かれた難所を越え、最終楽章コーダをも乗り切るためには、かなりの苦労もあったことでしょう。よくぞこんな曲を取り上げて、ここまで演奏を披露していただいた、ただただ感謝です。

 そして、カリンニコフ・イヤーはもう少し続きます。少なくともあと1回、今年生誕150周年のカリンニコフを取り上げる予定です。ぜひお楽しみに。