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人には添うてみよ、馬には乗ってみよ、酒には酔うてみよ。

NHK交響楽団第1836回定期演奏会を聴いてきました(前)君はカリンニコフを、ヤルヴィを知るか

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 ネーメ・ヤルヴィが来日してカリンニコフの交響曲第1番を振る……夢のような話であり過ぎて、夢にすら見なかった話を知った時は、それはもう驚きました。

 そして、これは何があろうと絶対に聴きに行くと決めたのです。そうしなければ、ずっと後悔を抱えたまま残りの人生を過ごす羽目になるはずです。なので、スケジュールをすぐさま空けると、誰にどんな不義理をしようが、どんな不道徳を働こうが一切無視して守り切り、ついに当日、その時を迎えることができました。

 

 

 指揮者ネーメ・ヤルヴィ。ロシア19世紀末の作曲家カリンニコフ、そしてそのカリンニコフの手による第1交響曲。どれも、私がクラシックにはまるきっかけとなった存在、いや、私の人生そのものを動かした存在ですらあります。特にカリンニコフの交響曲第1番に関しては、これまで関西在住時代に地元で聴いたのみならず、広島、横浜、名古屋での演奏会にも足を運んだ経験があります。

 ただ、多くの方々にとって、あるいはクラシック好きの方であっても、「誰?」と思われる方は少なくないでしょう。前者は現在のNHK交響楽団の首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィ父親ですが、その彼も指揮者というのがどれだけ知られていることか。また後者は(私含め!)日本でも熱烈な愛好家がいますが、同じロシアでもチャイコフスキーや五人組等のメジャーな作曲家の手による作品とは、知名度で比べられるべくもありません。

 そこで、今回は演奏会自体について書く前に、作曲者カリンニコフと指揮者ヤルヴィについてご紹介したいと思います*1

 

 ヴァシリー・セルゲエヴィチ・カリンニコフ(Vasily Sergeevich Kalinnikov)は1866年、ロシア・オリョール県に生まれました(祝生誕150周年!)。音楽の才能を認められた彼は若くして地元の聖歌隊を率いたのち、モスクワ音楽院に入学します。ところが、貧しさゆえ彼は授業料を納められず、音楽院退学を余儀なくされます。それでもモスクワ・フィルハーモニー協会の音楽学校に入り直すことができたカリンニコフは、ファゴットティンパニ、ヴァイオリンの演奏や写譜の仕事で生活を支えながら作曲を学びます。また、彼にとって生涯の友人・支援者となるシモン・クルグリコフとの出会いがあったのもこの時期です。

 1892年、彼はチャイコフスキーの推薦を得てロシアの名門マールィ劇場の指揮者に就任します。ようやく輝かしいキャリアが始まった、かと思われた矢先、彼は病に倒れてしまいます。生活のために働き続けた日々は、彼の健康を徐々に損なっていたのでした。しかも、病名は結核。当時としては不治の病です。

 カリンニコフは療養のために、温暖なヤルタへと移ります。貧窮にあえぐ日々が続く中でしたが、先述のクルグリコフやラフマニノフらの支援を得ながら、作曲活動に励みます。交響曲第1番が作曲されたのも療養時代です。貧しさゆえ十分な清書もできなかった作品は一時「演奏不可能」というレッテルを張られたりもしましたが、クルグリコフらの尽力が実って何とか初演に漕ぎ着けると、これが好評を博します。彼は続いて交響曲第2番や劇音楽、いくつかの小品を作曲し、中には演奏のみならず、すぐに出版されたものもあります。

 しかし、それらによってもたらされるはずの利益を、カリンニコフはほとんど受け取ることができませんでした。1901年、彼は結核が悪化したために世を去ってしまったのです。またも運命が好転する矢先に、彼のキャリアはまたも、そして最終的に、断ち切られてしまったのです。

 若くして世を去った作曲家の作品は往々にして忘れ去られます。カリンニコフの作品も多分に漏れませんでした。戦前こそ交響曲第1番を中心に、ロシア内外で演奏された記録がいくつも残されているものの、戦後に入ると演奏機会はほとんど途絶えてしまいます。1975年にソヴィエト・ロシアの指揮者スヴェトラーノフ交響曲管弦楽曲を録音したものの、それすら長らく入手困難になってしまったのでした。

 転機が訪れたのは1990年代です。CD時代の到来とともに、カリンニコフの交響曲の録音が徐々に表れるようになったのです。その中には今回の演奏会で指揮者を務めるヤルヴィが手掛けたものもあります。

 ただ、それらの中でも決定的ものとして挙げられるべきは、当時まだ新進の廉価版CDレーベルだったナクソスが世に送った、交響曲第1番・第2番を収めた1枚です。幻の名曲として渇望された作品が、1枚1,000円程度という当時としてはきわめて安価で聴けるという快挙に加え、テオドル・クチャル率いるウクライナ国立交響楽団は、1つ1つの旋律を歌い上げた瑞々しい演奏で、私を含め聴く者をすっかり魅了してしまいました。

 そして、古楽から現代音楽まで幅広いラインナップを誇るナクソス・レーベルの中で、このCDはなんと売り上げ第1位を奪取したのです。どう考えても無名と言わざるを得ない作曲家が、バッハもモーツァルトベートーヴェンも退けたのです(ひょっとして今も1位?)。この事実だけでも、カリンニコフの交響曲がどれだけの魅力を持ったものか、見事に示されているのではないでしょうか。

 

 ここまででもだいぶ長くなってしまいましたが、まだヤルヴィの話が残ってますので、どうかお付き合いください。彼も私にとっては非常に重要な存在なので。

 指揮者ネーメ・ヤルヴィ(Neeme Järvi)は1937年、エストニアの生まれ。ソヴィエトを代表する名指揮者ムラヴィンスキー等に師事して指揮を学ぶと、当時ソ連の支配下にあったエストニアを中心に活躍を始めます。

 ヤルヴィは1980年に西側に出国すると、イェーテボリ交響楽団スウェーデン)の首席指揮者に就任、短期間でシベリウスの作品を中心に多数の録音をリリース、徐々にその名を知らるようになります。他にもスコティッシュ・ナショナル管弦楽団デトロイト交響楽団、スイス・ロマンド管弦楽団ニュージャージー交響楽団、ハーグ・レジデンティ管弦楽団で首席指揮者や音楽監督等の指導的立場を務めるとともに、日本フィルハーモニーの首席客演指揮者にも就任するなど、多彩なキャリアを誇る指揮者です。

 しかしながら、彼の最大の特徴は、何と言ってもレパートリーの膨大さと録音の多さです。話のタネとして、"Allmusic"でのディスコグラフィのページを示しますので、他にご存知の指揮者と比べてみてください。

 

www.allmusic.com

 

 そんなヤルヴィのスタイルは、録音を量産するにふさわしい効率的なものと言えるでしょう。装飾にはほとんど目もくれず、早めのテンポでどんどん押していく演奏です。「効率的」というと芸術の対極に位置するものと思われるかも知れませんが、決してそんなことはなく、無駄な効果を狙った表現を一切排し、作品そのもの、あるいは楽器そのものが本来持つ力をそのまま出させることで、音楽の勢いを振るわせていく、と言えば良いでしょうか。私が彼の演奏にはまる決定的なきっかけとなった、ニールセンの交響曲第4番、シベリウス交響曲第1番など、その最たるものだと思っています。

 また、ヤルヴィは19世紀後半以降、主に北欧や母国エストニアを含む東欧の作品を取り上げることが多いのですが、決して有名とは言えない作品でも積極的に取り上げること、またそのような姿勢に理解の深い、ってか、けしかけてないかと思うようなレーベルとの協力関係が続いていることも、彼の録音が次から次へと世に送り出されてきた背景にあると言えるでしょう。

 ただ、今回の演奏会では、ヤルヴィはなんとベートーヴェン交響曲第6番「田園」を振るのです。彼のこれまでのレパートリーからすれば、まるでかけ離れた古典派の代表作品です。クラシックの世界で言えば、先日逝去したアーノンクールラフマニノフを振るようなものですし、ポップスに例えるのは難しいんですが、EXILEが戦後の歌謡曲をカヴァーするようなもの、ぐらいになるでしょうか……。ともあれ、これは事件と呼ぶべきレベルの話です。機会があればこの辺の経緯を是非伺いたいのですが、だからこそ、はたしてどういう演奏になるのかも非常に気になります。

 そういうわけで、私にとっては一世一代の演奏会をついに迎えたわけですが、ここまでで本当に長くなってしまいました。当日の話については、ぜひ下記リンク先から後篇をお読みくださいね。

 

 

3710920269.hatenablog.jp

*1:今回の内容はカリンニコフ交響曲第1番の複数のCDライナーノート、N響のプログラム、"allmusic"によるネーメ・ヤルヴィのページを参考にしています。CDについては別エントリを立てましたので、そちらをご覧ください。

 

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