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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

シリーズ土佐の駅(171-1)はりまや橋駅(とさでん交通伊野線、桟橋線、後免線・前)

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 高知市の中心にある、言わずと知れたはりまや橋。そのすぐ南に、とさでん交通の要衝、はりまや橋停留所があります。

 

 

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 東西南北の電車道が交わるはりまや交差点。はりまや橋があるのは、そのすぐ北です。石造りの欄干があるのが「川のない橋」はりまや橋。近くには水路の上に赤い欄干の橋が架かっていますが、こちらは昔の橋のレプリカです。

 

(参考)

3710920269.hatenablog.jp

 

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 橋の北東にある横断歩道の両側から、それぞれ商店街が伸びています。東側のはりまや橋商店街は、すべて木造のアーケードを備えています。

 

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 今目の前を横切った痛電車が、はりまや交差点の手前で停車。信号が変わるのを待ってから、はりまや橋停留所に入ります。

 

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 横断歩道を渡って、橋の東側に来ました。

 はりまや橋には川はありませんが、すぐ近くを地下道がくぐっています。その出口の手前には、「南国土佐を後にして」でゆかりの深いペギー葉山さんによる記念植樹が植わっています。

  

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 すぐ近くには水路が流れていて、「南国土佐を後にして」の歌碑が置かれています。その後ろの親子鯨の像は、ある時は親だけ、ある時は子だけ、またある時は親子同時に、1時間ごとに潮を吹き上げます。

 

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 南国土佐を後にしての歌碑。戦後の大ヒット曲ですが、歌碑が建てられたのは意外と最近のことで驚きました。気になって、昔高知を旅した時の写真を調べてみたら、確かに歌碑はありませんでした。

 

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 歌碑の近くには、「南国土佐を後にして」について、かなり詳しい説明があります。これも歌碑を立てた有志によるもので、歌に対する深い愛情が伺えます。

 残念なことにペギー葉山さんが亡くなられた今、文字通りの「昭和」、つまりはその前半30年程に目の行かない流行り言葉ではない、戦争とその後の日本を伝える上で、この歌とその物語が、こうして伝えられ続けることの大事さをあらためて感じます。

 

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 はりまや交差点の北東側に来ました。向こうに見えるのは、後免線と伊野線のはりまや橋停留所。ここから東には後免線が始まり、西には伊野線が始まります。

 

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 桟橋線のホームは、交差点の南側。北行の3番乗り場と、桟橋方面行の4番乗り場が向かい合うホームの間は、潮江橋近くまで続く緑化軌道になっています。

 

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 交差点の南西に置かれた定点カメラ。アームははりまや橋をイメージしたもののようです。

 

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 高知駅からの電車が、はりまや交差点の手前で信号を待っています。あるいははりまや橋の上でとも言います。高知県随一の観光スポットに、市内の日常的な風景が同居します。

 

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 はりまや交差点を渡った電車が、4番乗り場に到着しました。乗り換え、乗り降り、何人もの乗客が入れ替わると、電車は桟橋方面へと出発していきます。