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人には添うてみよ、馬には乗ってみよ、酒には酔うてみよ。

高知交響楽団第155回定期演奏会に行ってきました

こーち おんがく

  先月29日(日)に高知市文化プラザかるぽーと大ホールで開催された高知交響楽団第155回定期演奏会に行ってきました。

 

 高知交響楽団は発足以来70年を超える歴史を持つアマチュア・オーケストラ。年2回ペースの定期演奏会に加えて、県内各地でも演奏会を行っているそうです。近年ではベートーヴェン交響曲を第1番から演奏中で、今回は7回目になります。

 そういうわけで、今回のメインはベートーヴェン交響曲第7番。それにオープニングがロッシーニの歌劇「セミラーミデ」序曲、サブメインがシベリウスの「カレリア」組曲(先日高知大学交響楽団が演奏したのは序曲の方です)というプログラムになりました。

 で、肝心の演奏についてなのですが……お断りしておくと、「カレリア」は別として、ロッシーニベートーヴェンは私の守備範囲からちょっと逸れます(汗)。私がよく聴くのは19世紀後半以降、クラシック音楽が徐々に各地に広まるにつれて登場した、中欧以外の各地の音楽、とりわけ東欧・北欧のものです(商売柄モンゴルのクラシック音楽も聴きますが)。その上オペラは率直に言って苦手の一言で、オペラ作家の作品を聴く機会はまずありません。なので、ピント外れの話になるかも知れませんが、その辺は優しく指摘していただければ助かります。

 その上で、今回の演奏会の大きな特徴は、3曲すべてで「対向配置」と呼ばれる弦楽器の配置がとられていたことです。現代のオーケストラでは、客席から舞台に向かって左側(下手)から、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが扇を描くように座り、チェロの後ろにコントラバスが位置するのが一般的です(最近はヴィオラとチェロが入れ替わる配置もよく見かけますが)。しかし、この配置は前世紀に入ってから取り入れられたもので、それまでは第2ヴァイオリンが舞台の右側(上手)、つまりヴァイオリンが舞台最前列で左右相対する形で配置されるのが一般的でした。しかも、ヴィオラとチェロの位置も逆、コントラバスは舞台の左側奥に構えていたのです。

 今回の演奏会では、この伝統的な配置が採用されたのですが、それがロッシーニベートーヴェンに加えてシベリウスでも採られていたのです。その理由は分かりません。1曲だけ配置を変えると移動が手間だし間延びするという実際的な問題もあるでしょうし、それ以外の音楽的な理由もあり得ます。ただ、個人的にはこの配置は成功だったと思います。というのは……とここで書いてしまうと、後でネタが無くなるので、まずはオープニングから。

【1曲目】ロッシーニ歌劇「セミラーミデ」序曲

 先にも書きましたが私はロッシーニは詳しくありません。「セビリアの理髪師」や「ギョーム・テル」(ウィリアム・テル)の序曲は流石に聴いたことがありますが、慣れ親しんだのは後者の断片で、甲子園球場サンテレビボックス席でファンファーレをよく聴いたとか、他はショスタコーヴィチ交響曲第15番に混ざってたり、ドリフのコント(全員集合じゃなくて大爆笑だったような)で使っていたのを耳にしたものです。

 というわけなので、この曲については予備知識ゼロでした。うちにCDもないですし。はたして聴いてみると、序奏部分はテンポがそれほど速くなく、むしろ重い印象で、古典派のイメージに近いものです。その後主部に入ると一気に加速、クレッシェンド(ロッシーニ・クレッシェンドと言うらしい)とともに盛り上がっていきますが、なぜかあっけらかんとはなりきれない。どこか深刻さの影が伺えますし、ベートーヴェン管弦楽曲への近似性すら感じてしまいます。

 おそらく、そのような曲の印象は、演奏やアプローチの問題によるものではないでしょう。ロッシーニはこの曲を作る前年にベートーヴェンと会っているそうなので、その影響があるのかも知れません。そう考えれば、今回の演奏会でロッシーニの作品のうち、ほかならぬこの曲が選ばれたのも納得がいきます。

【2曲目】シベリウス「カレリア」組曲

 先の高知大学交響楽団の演奏会で序曲が演奏されたのに続いて、こちらは組曲です。今年はシベリウス生誕150周年なので、相次いで演奏されるのは当然ではあります。

 さて、先程書いた対向配置についてなのですが、個人的には一番強い印象を受けたのが、実はこの曲です。ロッシーニベートーヴェンを対向配置で演奏するのは、当たり前とまでは言いませんが、不思議な話ではないでしょう。ただ、彼らからすればかなり時代が下るシベリウスも対向配置で演奏したのが今回の演奏会の大きな特徴と言えます。そして、私が聴く限り、対向配置ならではの面白さが感じられたのです。

 その理由は、シベリウスの音楽にあります。彼はもともとヴァイオリニストで、演奏家として音楽の道に入りました。それが曲折あって作曲家として大成したのですが、ヴァイオリンは彼にとって特別な楽器であり続けたことでしょう。唯一の協奏曲を書いているぐらいですし。それだけに、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン、曲によってはさらに分割されますが、それらの区別が聴き取りやすくなるのは対向配置ならではのメリットで、今回はそれが遺憾なく発揮されたといえるでしょう。

 また、中低音楽器が分散したことでそれぞれが聴き取りやすくなったことも挙げたいと思います。対向配置では舞台下手(客席から向かって左側)にコントラバスとチェロが、上手(客席から向かって右側)にトロンボーンテューバがそれぞれ陣取るので、同じ動きをしていてもそれぞれの音が識別しやすくなります。また、初期シベリウス作品の場合、低音楽器を緻密に使うところがあって、コントラバステューバでも動きが違うところが結構あるのです。対向配置にすることによって、低音楽器が「ていおん!」というひとまとめの塊として聴こえるのではなく、それぞれの楽器の音がハッキリと聴き取れる。この効果が意図したものかどうかは分かりませんが、私にとっては一番の発見でした。

 他方で、金管低音の聞き取りやすさやテンポも相まって、ひょっとイェーテボリ交響楽団を意識した?と思ってしまったのも正直なところ。多分違うとは思うのですが、気になるところではあります。

【メイン】ベートーヴェン交響曲第7番

 ヴァーグナー曰く「舞踏の聖化」。ノリの良さが何より大事な作品です。第二楽章こそためらいがちなものの(とは言っても当時の交響曲にすれば速い方)、あとはとにかく前に進みに進めばOK。よさこいですね(違う

 というのはさておき、先にも書いた通り古典派以前の音楽は関心外で、ベートーヴェンがメインの演奏会は普段なら食指が動かなかったところです。ただ、どうしても演奏会自体が貴重な土地ですし、同じベートーヴェンでも第7番であれば、曲調からしてまだ親しめる気がするのも確かです。

 で、今回の演奏での印象は、ああこれはピリオドだなぁと。つまり、ベートーヴェンの時代の奏法を意識しているんだろうなぁ、ということです(作曲当時の楽器による演奏を表すにもピリオドという言葉が使われますが、今回に関しては通常の楽器が使われていたと思います)。古楽には全く疎い私でも、奏法の違いは感知することができました。特に第2楽章などは最たるものです。指揮者の高橋敏仁氏が古楽演奏解釈法をウィーンで学んだとプログラムにあるので、おそらくそれが関係しているのだろう、と勝手に納得するところです。

 これが当たっているかは別としても、そもそもピリオド楽器や奏法を使うようなプログラムに接することのなかった私にとってみれば、貴重な機会でした。たまにはベートーヴェンも聴いてみるものです。といいつつ、第3番は集中力が持たなさそうだし、第5番はベタに過ぎるし、第6番は寝落ちしない自信が無く、第9番はむしろ今月聴く曲だろう……などと思ってしまうのですが、とりあえず次は第8番なので、問題はなさそうでしょうかね。

 

 ちなみに、アンコールはヘンデル「水上の音楽」第2組曲よりアラ・ホーンパイプ。ピリオドを意識、なんてところから、一気に古楽の時代へ入ってしまわれました。

 

(参考)高知交響楽団公式サイト