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それでも、東アジアのななめ上を目指す。

第11回ウランバートル国際シンポジウムで研究報告を行いました

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 2008年から毎年行われているウランバートル国際シンポジウムで研究報告"Comparing Social Trend in Post-Post Socialist Mongolia and Russia: An Overview from the Life in Transition Surveys"を行いました。第8回から4回連続の参加です。

 

 

 今回のテーマはトップ画像にもあります通り、"Kyakhta and Khüree: From the Viewpoints of Eurasia"というものです。Kyakhtaというのはロシア・モンゴル国境のロシア側の街キャフタで、18世紀には清朝ロシア帝国の国境交渉や条約締結、20世紀には辛亥革命に乗じて独立を宣言したモンゴルの地位に関するロシア・中国との三者会議と協定締結、その後あらためてのモンゴル独立運動等、たびたび歴史の現場となったところです。一方のKhüree「フレー」は、現在のウランバートルです。ただし「ウランバートル」という地名が決まる前は、同じ街を示すのにいろいろな呼び方があってややこしいのですが。

 このようなテーマですので、報告のメインは18世紀以降の歴史です。私はもちろん歴史学者ではありませんし、これまでのシンポジウムでは現代モンゴルに関する研究報告もいくつか出ていたので、今回も大丈夫だろうと高をくくっていました。

 ところが、見事に外しました(苦)。私の研究報告は歴史研究でもなければ、2つの街に焦点を当てたものではなく、それぞれが属する国のレベルの議論です。むしろサブタイトルにある「ユーラシアの観点から」というところだけに引き付けたものです。それだけに、プログラムを見た時には、自分の報告タイトルから強い場違い感を受けずにはいられませんでしたし、正直なところ、途方に暮れる思いもしました。

 とはいえ、今さら内容を変えることなどできません。一から歴史研究などできるわけがありませんし、とにもかくにも報告を採択していただいた事実がある以上、その内容を勝手に変更するのは気が引けます。

 というわけで、当たり前といえば当たり前の選択ですが、用意してきた内容で、腹を括って正面突破を試みました。その結果がどうだったかは私が判断することではないですが、あとでいくつか個人的に質問を頂いたことからすれば、歴史研究がご専門の方々にも、それなりに興味を持っていただけたのではないか、と勝手に考えています。

 とはいえ、研究としてはまだまだ途上です。もう少し拡充かつブラッシュアップを行った上で、あらためて公刊する目論見ですが、さぁどうなるやら。