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それでも、東アジアのななめ上を目指す。

多文化関係学会2018年度第1回関東地区研究会に行ってきました

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 昨日(2018年5月26日)行われた多文化関係学会2018年度第1回関東地区研究会に行ってきました。「ろう者からみた聴者の世界」というタイトルでの講演とワークショップです。

 

 

 今回の研究会は、自らもろう者(聴覚障碍者/非聴覚障碍者に対する呼称については後述)で手話講師を務める菊川れん先生が手話で進行し、角田麻里先生(関東学院大学)が必要に応じて通訳を行うというものです。

 ただし、通訳がついたのは主に前半の講演です。後半は手話の簡単なワークショップだったのですが、こちらはほとんど通訳なし。説明用のスライドがあるほかは、手話と身振り手振りでのコミュニケーションだけで行われました。

 多文化関係学会と手話というのが、いまいち結び付かない方もいらっしゃるかも知れません。「多文化」と聞いてまっさきに連想されるのは多文化共生なんちゃらでしょうし、そこでイメージされるのは定住外国人と良好な関係づくりといったところで、日本人どうしのコミュニケーションが俎上に上るとは考えにくいだろうとは思います。

 ですが、手話も一つの言語体系です。私も今回知ったのですが、日本で主に使われる手話は、日本手話と日本語対応手話の2種類があるそうです。後者は日本語(あえてこう書きます)に近いようですが、前者は疑問表現が文末に置かれるほか、首から上の動きも言語表現として必要になる(というお話でした)等、独自の文法を持っています。

 そして、人間どうしのコミュニケーションに用いられる言語は、必然的に文化を生み出します。と言い切ってしまうのはちょっと怖いのですが、多少の変種はあれ(英語のように単一言語の下で複数の文化が生まれたり、多言語環境下で共通の文化が生まれたり)、言語が文化を生まない例というのは考えにくいところです*1

 つまり、日本語と日本手話とは異なる言語体系であり、主な使い手のエスニシティが同じであっても、それぞれ独自の文化を持つと考えられます。そうであれば、それぞれの使い手の間に生じる接触は、まさに多文化関係と言えるのです。ともすれば文化=国民文化/県民文化という単純な理解に陥る危険は、誰しも持っているわけで、それだけに今回の研究会はそのような理解を回避する上でも貴重な機会でした。

 研究会自体については、後日多文化関係学会ウェブサイトにレポートがアップされるかと思います。また、今回はテレビ取材もありましたので、放送日が分かれば追記しますし、そちらをご覧いただくこともできます。

 ですので、ここはあくまで個人的なポイント、感想等について述べておきたいと思ったのですが、既に長いので4点のみ。あまりやるとネタバレになるので、多少控えるのはご容赦いただきます。

 

● ここでは聴覚障碍者に対して「ろう者」という呼称が登場しました。「ろう」というと「ろうあ」という単語も連想しますが、手話が使えれば音声による発話ができずとも言語は使えるので、一括りにされるのは違和感があるとのこと。実際、発話障碍を表す「あ」は、本来「ろう」とは別物なので、確かに一緒くたにするのは、考えてみれば安易ではあります。ちなみに「ろう」はNHKの番組名にも使われています。

 

 

www.nhk.or.jp

 

● 一方、非聴覚障碍者に対する呼称は「聴者」でした。パッと思いつくのは「健常者」ですが、生来ろう状態にある人にとって、聴こえない状態が「健常」でないとは必ずしも言えないわけで、これも考えてみればしっくりくる話です。とはいえ、この辺はろう者・難聴者によって考え方も分かれるでしょうし、人生のどこかで聴力を失った中途失聴者の存在も忘れてはいけません。難しいところですが、ろう者・難聴者も人間ですから人それぞれ、というのは忘れるわけにはいきません。

● 後半のワークショップは先述の通り、原則通訳なしで行われました。内容は簡単な手話、と言っても手話の中では簡単な部類と言うだけで(挨拶、自己紹介)、実際に取り組んでみると、細かい所作に気を配らねばならず、結構悪戦苦闘しました(苦笑)。

 そんな中で興味深かったのは、まず手話には右利き用・左利き用があるとのこと。というと複雑そうに思われるかも知れませんが、今回学んだ限りでは動作が対称的になるだけで、コミュニケーションに不都合はなさそうでした。下手な音声言語よりも、マイノリティに配慮しているかも知れません。

 また、通訳、つまり音声言語による説明がなかったことで、ワークショップは聴こえる音が極めて少なく、かつコミュニケーションを取るために、動作や顔の動き・表情に集中しなければならない中で行われました。音声言語に慣れきっている私からすれば鮮烈な環境です。これがろう者・難聴者の日常経験している世界だ、と言うつもりは毛頭ありませんが、その世界を想像する糸口にはなるかも知れないな、とは思ったのでした。

● 先にも述べましたが、今回の研究会にはテレビ取材が入りました。終了後は私も参加者として取材を受けております。その中で、講演・ワークショップの内容を受け、あとは参加した我々がそれらをどうするか、どう社会に還元するかが求められるという主旨のお話をさせていただきました。

 と言いつつ、専門家でも実務家でもない私に、大それたことができるとは思っていません。ただ、本エントリが社会への還元の第一歩となればなぁとは思っていますし、そのつもりで書いているのは確かです。

 

※ 日本手話・日本語対応手話については、以下の文献も参照しました。

■ 山内一宏(2017)「日本語と日本手話― 相克の歴史と共生に向けて ―」『立法と調査』386: 101-111

mainichi.jp

*1:ここで言う「文化」は芸術的なアウトプットではなくて、ある集団の中で共有される、物事に対する考え方や感じ方、行動のパターン、ぐらいに思ってください。また強いて言えば、エスペラントのように世界共通語を志向する人工言語は、文化を生み出すことを想定していないとは思います。ただ、実際にそれらの言語の使い手が限定され、かつ話者間での密なコミュニケーションが行われていると考えれば、エスペラント言語文化が存在し得ないと言い切るのも怖いです。