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それでも、東アジアのななめ上を目指す。

"Mongolian and Northeast Asian Studies" Vol.3に拙稿が掲載されました

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  "Mongolian and Northeast Asian Studies"(日本語名『モンゴルと東北アジア研究』)第3巻に拙稿"Is Japan Mongolia's Model for Future Development? Exploration of the Mongolian Attitude Using the Asian Barometer Survey Data"が掲載されました。

 

 

 本稿は2017年8月に行われた「第10回ウランバートル国際シンポジウム」での報告を基に執筆したものです。

 

3710920269.hatenablog.jp

 

 拙稿が掲載される"Mongolian and Northeast Asian Studies"第3巻は、シンポジウムでの報告論文によって構成されていて、事実上の特集号となっています。ただ、拙稿は(おそらく他の論文もですが)査読を経た上で掲載が決まったものです。

 拙稿のタイトルには「モンゴルの『将来の開発モデルは』日本なのか」という文言が入っていますが、実のところ、モンゴルの開発の在り方自体を論文で問うているわけではありません。その意味ではミーティングと言われそうなタイトルですが(多少狙った部分もあるのですが)、論文での主題は、そもそもモンゴルの人々が自国の開発を考えた時、どういう国をモデルとして思い浮かべるだろうか、というのが拙稿のトピックです。これについてはアジアン・バロメータ調査にマッチした設問項目があり、その選択肢に日本も掲載されていたのです。

 一方で、第10回ウランバートル国際シンポジウムが日本・モンゴル関係をテーマとするものであったことから、参加者の関心を考慮する必要もありました。そこで、報告では日本と回答した人々の特性を述べることに力点を置きつつ、他国を選択した回答者についても比較検討する、という方法を採ったのです。そして、同じ方法で論文も執筆したということです。

 モンゴルは親日国としばしば言われます。そう間違った見方ではないと私も考えます。ただ同時に、「親日国」かどうか、あるいは「親日」か「反日」かは、国・地域どうし、あるいは国籍が異なる人々どうしの関係を考える上で、はたしてどれほど意味があるのか、私は強い疑問を持っています。

 もちろん、超大雑把に見れば「親日」「反日」の判断はできるでしょう。またどちらも「考えずに使える」という際立った利用しやすさを持つ言葉なので、便利なことこの上ありません。ただ、異なる国・地域・社会・人々との付き合い方を少しでもマトモに考えようとすれば、この言葉によって切り捨てられる、日本への感情のさまざまな側面こそが、付き合いの上で大事なことに気づくはずですし、気づけないとマズいです。ヤバいです。

 そして、私の最近の研究関心の1つが、まさにそのさまざまな側面であり、拙稿はその側面の1つを扱ったものです。出版元の風響社さんからはまだ観光の案内が出ていませんが、いずれ出ると思いますので、その際はぜひご一読いただければ幸いです。ご参考まで、リンクを貼っておきます。

 

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