3710920269

人には添うてみよ、馬には乗ってみよ、酒には酔うてみよ。

拙稿「モンゴル国におけるアジア人意識:国際調査データの分析による検討」が『日本とモンゴル』誌に掲載されました

f:id:minato920:20170902091512j:plain

 

 拙稿「モンゴル国におけるアジア人意識:国際調査データの分析による検討」が公益社団法人日本モンゴル協会が発行する『日本とモンゴル』誌第52巻第1号に掲載されました。

 

 

 今回掲載された論文は、モンゴルの人々がどの程度「アジア人」としての自己意識を持っているのか、またそのような自己意識と関連する要因は何なのかというのがトピックです。これらについて解明するため、2005年に実施された国際調査「アジア・バロメーター」(ただし国際比較で用いる他国のデータの一部は2004年調査のもの)のデータを用いて分析し、結果を考察しています。

 論文は現時点では電子化されておらず、紙媒体のみとなっています。ただ、編集後記によれば1年後にPDF版が日本モンゴル協会ウェブサイトに掲載されるとのことです。

 モンゴル人の「アジア人意識」というのに着目した背景には、モンゴル滞在時の個人的経験があります。うち1つを挙げると、留学中に知り合ったモンゴル人大学生の家に招かれた時のことになります。家に学生の母親がいたので自己紹介したところ、「アジア人と知り合うのは初めてで……」という(ような、多少記憶あやふや)言葉が帰ってきて、いささか意外感を覚えたことがあるのです。

 なぜこんな話が出てきたのか。モンゴル人と日本人のやり取りに関する話なので、モンゴル側の背景と日本側の背景に分けて考えてみましょう。モンゴルと言えば遊牧のイメージが強いと思いますが、かつてはソヴィエト・ロシアに次ぐ世界2番目の社会主義国、そして旧ソ連・東側諸国の一員として、コメコン(経済総合援助会議)にも加盟していた「東側諸国」です。

 これは単に旧共産圏であったというだけではなく、他のアジアの国に先駆けて「社会主義的な」近代化、欧化を遂げたということも意味します。日常使う輸入品は(東)ヨーロッパ製、エリートは東欧諸国、その中でもエリートはモスクワやレニングラード(!)に留学したり、モンゴル国内でもロシア語教育を受けたりです。

 ということは、アジアよりもヨーロッパの方が身近であったり、高階層を連想させる意識が社会に定着していたことは、想像に難くありません。さらに言えば、モンゴルが他のアジア諸国に対して、ヨーロッパ以上の距離感をもたらす土壌が、社会主義時代には存在したわけです。そう考えれば、その学生の母親の発言も理解できます。

 ただ、ここで考えていただきたい。いま述べたような、アジアよりヨーロッパを近しく思う傾向がもしモンゴルにあったとして、それはモンゴルだけのものでしょうか?むしろ同じ東アジアに、「脱亜入欧」という言葉が広まった国がありましたよね?そう、我らが日本です。私も日本で生を受け、育ち、公教育を受けた人間です。それを振り返った時、先程の「意外感」の一部には、自分が「(モンゴル人とは違う)アジア人」にカテゴライズされることに対するものがあったのではないか?という疑問も出てくるのです。

 それから10数年を経て、他のアジア諸国とはいささか異なる歴史を歩んできたモンゴルにおける「アジア人」とはどのようなものか、というのが、たびたび気になっていました。ただ、経験はあくまで経験、無条件で一般化することはできません。とすれば、モンゴルの「普通の」人々にとって「アジア人」とは自身なのか、他者なのかを問うには、幅広い人々の意識を分析する必要があります。その際、国際的に実施された社会調査のデータが、格好の素材を提供してくれたのです。

 分析の結果は、ぜひ論文で確認していただき、ご意見を頂きたいので、ここでは詳しく述べません。ただ少しだけ、「アジア人」意識の浸透度はモンゴルと日本で相当違っていること、分析結果からそもそも「アジア人である/ではない」という二分法すら問い直すべきではないか、という問題も提起できるとは書いておきましょう。

 地方の調査地点が少な過ぎる等のデータ上の制約もありますし、書き手としての私の拙さも、読み直して痛感して、正直凹むところはあります(苦)。とはいえ、「アジアにおける日本人」の意識を問い直すきっかけになり得るものを提供できたという自負もあります。ご関心のある方、ぜひ『日本とモンゴル』誌にてご一読いただけましたら幸いです。