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それでも、東アジアのななめ上を目指す。

高知交響楽団第159回定期演奏会に行ってきました

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 昨日は高知交響楽団の第159回定期演奏会が開演。前回のオール・アメリカン・プログラムとは一転して、今回は手堅い選曲です。雨と冷え込みで出掛けるには生憎の気候でしたが、行ってきました。

 

 

 今回は曲自体が有名か、あるいはクラシック好きなら名前ぐらいは聞いたことのあるはずの3曲が並びました。早速オープニングから。

 

 ワーグナーによる歌劇の序曲。劇のプロットはネットで簡単に調べられると思いますが、テーマは官能と女性による救済、言ってしまえばワーグナーの面目躍如、もっと言えば「中二男子病」な作品です。「厨二」ではなくて中二、しかも男子限定。思春期前期の男子にありがちな欲求がまんま芸術化されたというか。

 ただ、曲目解説によれば、ワーグナーは歌劇の制作と改訂には難渋したようです。しかも、(少なくとも生前は)歌劇は成功を収めることはできませんでした。この辺はいろいろ理由があるようですが、序曲から察する限り、爆発的な部分、少なくとも勢いよく飛び出してくる部分が感じられなかったのは確かです。これがブルックナーやロットの交響曲の一部ならまだ分かるんだけど、と言えば良いのでしょうか。

 そういうわけで、演奏ではなく作品の方に物足りなさを感じたのですが(それはそれで面白い経験なのですが)、それでも最後はきっちりまとまった演奏でした。

 

 言わずと知れた有名曲。あるいは「曲名は分からんでも一部聞いたら『ああ、あれか!』となるクラシック」上位は確実な作品です。ただ元ネタとなった劇自体はまず上演されないため(かく言う私もあらすじしか知らない)、ストーリーが一般にあまり知られておらず、いろいろ誤解を生んだこともあるようです。ちなみに第1曲の「朝」が北欧の夜明けを描いたものではないのは注意点です(流石に最近は知られるようになったと思いますが)。

 こういう有名曲は多くの聴衆が聴いたことがあるわけで、その分無名曲のような「ごまかし」は効きません。また、新味を出そうと奇をてらう誘惑に駆られて自滅する危険もあるのですが、今回はそういう危険とは無縁の、好感の持てる演奏でした。とりわけ第4曲「山の魔王の宮殿にて」は冒頭から上手く盛り上げたと思います。

 

 チャイコフスキーが書いた6曲の交響曲の中で、この第5番が最も形式感の強い作品なのは間違いないでしょう(ほらそこ、「他がアレだから」とか言わない!)。とはいえ、チャイコフスキー自体をあまり評価しない筋、曲目解説の言葉を借りれば「簡単に作れるメロディで演歌みたいな大衆向けの曲を作る作曲家」という評価を下す向きからすれば、この曲も俗っぽい作品に思えるかも知れません。

 ただ、私は学生時代にこの曲の演奏経験があり、この曲を振り出しに交響曲の仕組みを学び始めたので、やはり交響曲としての完成度の高さを認めないのはどうかなぁ、とは思っています。ドイツ古典派の流儀を守る作品以外は交響曲として認めない、と言われたら、はぁそうですか、というしかありませんが。

 そして今回の演奏は、やはりこの曲は紛れもなく交響曲だよね、というものでした。スラブ系のクラシックが最も輝く(?)ホ短調、やろうと思えばいくらでも優美にできたり、テンポを引っ張ったり突っ込んだり、粘っこい演奏をできたりするのですが(ま、そういう演奏はそういう演奏で好きなんですけどね)、今回はそういう演出とは無縁の演奏でした。ただ、だからといって退屈な演奏では決してなく、交響曲としての形式感・まとまりとメリハリを感じることができました。

 そういうわけで、今回の演奏はチャイコフスキー交響曲第5番が、演奏会のメインプログラムとして並ぶに値する作品であることを示したものでしたし、その点で成功だったと思います。聴衆の反応が上々だったのも、その結果ではないでしょうか。

 

 それにしても、今回は金管(とりわけ中低音)にかなりの負荷がかかるプログラムでした。しかも開演前のミニコンサートは金管楽器によるもので、奏者によっては4曲通して出演していたことになります。本当にお疲れ様でした。

 そして、次回演奏会のメインはシベリウス交響曲第1番!こちらは演奏経験こそありませんが、当方がクラシックを聴き始めた頃から今に至るまで、思い入れの深い作品です。演奏会当日に授業・イベント等入りませんように(祈願