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人には添うてみよ、馬には乗ってみよ、酒には酔うてみよ。

初めてのモンゴル「観光旅行」(3)ザイサン・トルゴイでウランバートルを見渡す

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 一夜明けてモンゴルでの日程が本格スタート。この日は市内観光ツアーを予約しています。ツアーと言っても団体ではなく、車とガイドさんがつく形なので、団体行動が苦手な私も気兼ねはありません。

 

 

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 まずは5階のレストランで朝食。天井はモンゴルのゲル(遊牧民の天幕)を模したつくりになっています。

 

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 朝食はよくあるビュッフェ形式なのですが、プラスチックのお箸こそ大量に置かれているものの、食器やフォーク・スプーンはテーブルによって置いてあったりなかったり。この辺の基準はよく分かりません。

 

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 今では葉物の野菜が普通に食べられるようになったモンゴル。朝食にも普通に出てきます。

 

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 とりあえずいろいろ取ってみました。オムレツはシェフが卵をその場で焼いて作ってくれます。意外に好評なのがトマトジュースで、確かに日本のとは違って程良い甘みがあります。昔もこんな味だったかな、野菜が少ない頃は本当にお世話になったのですが。

 

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 部屋に戻り、窓から見えるウランバートルの景色。大小のビルが立ち並ぶ中心街の奥の山は、頂上まで民家がびっしり建っています。私からすれば見慣れた光景ですが、初めて見る向きにはかなり新鮮な驚きのようです。

 さてさて、時間になったのでホテル前に集合してツアー開始。夕方までの時間にウランバートルの主だった場所の見学と買い物がついています。まずは市内南部のザイサン・トルゴイという小高い山から、ウランバートルを一望します。

 

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 途中はすっ飛ばしてザイサン・トルゴイです(料理番組か

 周辺の開発は進んでいますが、頂上に至る階段は初めて来たときからほとんど変わっていません。モンゴル・ソ連の友好を記念したモニュメントも、ソ連崩壊25周年の今なお普通に建っています。

 

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 頂上まで来ました。モニュメントの外側にはレーニンやモンゴル人民革命の英雄スフバータルの肖像が今も残っています。市内中心部ではレーニンの像やレリーフスターリン像が撤去されたモンゴルですが、こちらのレーニンの肖像が潰される気配はまるでありません。もっとも、もはや誰も気に留めてすらいないのかも知れませんが。

 

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 モニュメントは頂上を囲むように作られていて、裏側は一周まるごと、いかにも社会主義なモザイク画が描かれています。こちらは1939年のハルハ河会戦(いわゆるノモンハン事件)の勝利を祝したものと言われていて、日本軍の旗が踏みつけられています。

 

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 こちらは大祖国戦争(第2次世界大戦の独ソ戦)でソ連とモンゴルが共に戦い、勝利したことを描いたもの。ハーケンクロイツと鷲を旗印とするドイツの軍旗が降ろされ、ソ連国旗が掲げられています。その一方で、子どもがモンゴル人と思しき兵士に抱かれて涙を流していて、あまりにも大きな戦争の犠牲を表しています。

 

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 こちらはモンゴル・ソ連の友好を象徴したもの。このモニュメントができたのは1971年、宇宙飛行士を登場させる辺りは当時のプロパガンダの面目躍如です。他にも軍人を描きつつ、子どもやハトを描いて平和主義を主張するところ、東側アートが好きな方にはたまらない逸品と言えるでしょう。

 

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 そして中央にはモンゴル・ソ連の友好を象徴するかがり火が決して消えることなく燃え続けている……って設定だったかと思うんですが、(お察しください)

 そういえば、初めてモンゴルに来た時に、アパートの壁に「モンゴル・ソ連の友好は永遠である!」というスローガンがでかでかと書かれているのを見たことがあって、既にソ連亡き後だっただけに笑うに笑えなかった記憶があります。今そのアパートはどうなっているやら。

 

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 こちらは墓碑のように見えるかも知れませんが、英雄都市の名前が並んでいるそうです。「英雄都市」とは戦争中に特に激戦となった場所に対して贈られる称号で、旧東側では特に重みがあります。ただしこちらの例を見ると、送られるのは必ずしも都市とは限らず(ハルハ河が好例)、中にはモンゴル以外の地名もあります。

 

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 ザイサン・トルゴイから見るウランバートル。盆地にビルがひしめき合うように立っています。空気がやや曇って見えるのは排気ガスでしょうか。

 そして川を挟んで手前の辺りは、かつては緑地が広がっていて美しかったのですが、今はビルが競うように建設されていたり、建設途中で止まっていたりして、すっかり殺風景になってしまいました。

 

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 町の西側は工業地帯。発電所から煙が立ち上っています。これから冬を迎えるモンゴル、これらの発電所から供給される暖気が市民の生命線となります。

 

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 反対側を見ると、ビルの上にゲルが立っていました。ビルは商業施設っぽいですし、建設現場のものとしてはあまりに小綺麗なので、おそらく宴会場か何かで使うのでしょう。

 ウランバートルを一望できるのは昔から変わりませんが、今や土地開発の最前線を見る場所になってしまったザイサン・トルゴイ。これだけ建物が多いと夜景は壮観でしょうし、そう考えると悪いばかりでもないのですが、ただできることなら、草原が多く残る昔の美しい姿を見てほしかった、という叶わぬ望みを感じずにはいられないのです。ま、時代遅れのオッサンの繰り言ってことで……

 

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 いささか複雑な思いを残してザイサン・トルゴイを降りた後は、カシミア製品の工場直販のお店に行きました。こういうお店には普段のモンゴル訪問では行かないので、かえって貴重な経験になりました。

 

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