3710920269

人には添うてみよ、馬には乗ってみよ、酒には酔うてみよ。

ウランバートルのビートルズモニュメントに迫る危機?商業開発に市民が抗議

f:id:minato920:20170815130120j:plain

 

 ウランバートルの中心部に立つビートルズのモニュメントの周辺で商業開発が始まり、モニュメントの移転や破壊を懸念した市民が抗議する騒ぎになっています。

 

 

 ウランバートル中央部にある旧国営百貨店からサーカス劇場までの間は、左右に一方通行の車道がある間が広い遊歩道になっています。その旧国営百貨店側に、ファンの寄付によってビートルズのモニュメントが立てられたのが2008年のこと。イギリスとは鉄のカーテンで隔てられ、ってか鉄のカーテンすら遠く離れたモンゴルですが、距離や政治体制の違いを超えたファンはいたのです。ちなみに、以前私もモニュメントのある場所を訪れているので、ご参考までに。

 

3710920269.hatenablog.jp

 

 ところが、今月に入ってモニュメントのある一帯で商業開発が始まりました。モニュメント周辺も柵が置かれ、掘り起されるようになったことで、移転や破壊を懸念した市民が集結、一時騒然とする様子がTwitter上でも多数投稿されました(ログ取っとくんでした……)。

 そして、この事件はロイター通信の知るところとなり、先日英語版に続いて日本語版の報道も配信されたのです。

 

jp.reuters.com

 

 なお英語版は動画もついています。

 

uk.mobile.reuters.com

 

 なお、ロイターがこの件を取り上げたことは、モンゴルでも報じられています。

 

■ БИДНИЙ ТУХАЙ: Монголчууд “БИТЛЗ”-ийн хөшөөг сүйтгэхийг эсэргүүцэж байна (「モンゴルの人々が『ビートルズ』像の破壊に反対している」medee.mn, 2017年8月14日)

 

 調べてみると、モニュメント付近の開発自体はかなり前から決まっていたことのようです。2016年4月21日付のモンゴルの大手紙『ウヌードゥル』は、「国営百貨店の南側に地下構造物を建設する」という見出しの記事で、首都住民議会(日本の都議会に相当)が建設計画を承認したことを伝えています(見出しでは「国営百貨店」とありますが、現在は民間企業によるデパートになっています。とはいえ、「国営百貨店」と言う方が現地では通りが良い気もします)。

 

unuudur.mn

 

 ちなみに、この記事では国営百貨店の南側にピラミッド状の4階建ての建物を立てる計画もあると報じられています。これが事実なら、かなりの確率でビートルズのモニュメントと場所がかぶることになるわけで、モニュメントの行方が懸念されるのも分かります。

 この当時の首都住民議会は民主党が多数派だったのですが、2か月後の選挙で与野党が入れ替わり、人民党が与党に返り咲きます。この後この件について聞くことは(少なくとも私は)なかったのですが、それでも計画は生き続けていたようで、今月2日には「自動車のない通り」プロジェクトとして、起工式が行われたと報じられています。

 

www.news.mn

 

 ……済みません、モンゴル語が分かる方にはバレバレですが、上で生成されたリンク、見出しが出てません(汗

  リンク先に飛んでいただければ分かることではありますが、念のため示しておくと≪“АВТОМАШИНГҮЙ ГУДАМЖ” ТӨСЛИЙН НЭЭЛТ БОЛЛОО≫(「自動車のない通り」プロジェクト起工式挙行)となります。

 これを知って現場に集まった市民から抗議の声が上がったのは先に書いた通りです。そのような抗議に対し、ウランバートル市庁からは国営百貨店の南側に建造物は建てず、地下街のみを建設すると説明しています。記事のイラストを見ると、モニュメントもしっかり残っています。

 

unuudur.mn

 

 ただ、それなら先のピラミッド型の建物建設の話はどこに行ったんだという疑問も出てきます。このような説明で納得しない人も結構いるのではないでしょうか。

 こうなると、気になるのは今後モニュメントと地下街開発計画がどうなるかです。現状で判断を下すには情報が少な過ぎますし、流動的な要素も多いです。ただ、計画審議段階で与党だった民主党、現与党の人民党とも、無条件で開発計画を見直すとは考えにくいところです。それだけに、モニュメントが現地に残る保証はまだありませんし、カギを握るのは抗議運動がどれ程広がるかになると思われます。

 

 なお、ここからは余談です。

 ご存知の通りビートルズ全盛期は東西冷戦の真っ只中で、当時のモンゴルは東側諸国の一員、ガッチガチのソ連支持国でした。そのよう国々で、西側諸国のロック・ポップスが禁止されていた、という話はまま聞きますし、ロイターの記事にもそのような記述があります。

 ただ、これが間違いだとまでは思わないのですが、いろいろ探ってみると、禁止がどこまで徹底していたかについて、強い疑問が湧いてきます。むしろ、本気で禁止してそれか、という反例に近い事実も出てくるのです。

 例えばビートルズの代表曲「イェスタディ」は、ソ連のバンド「ノーヴィー・エレクトローン」がカバーしていて、コンパクト盤にも収録されています。下にYouTubeのリンクを貼りますが、ボサノヴァ風のアレンジでなかなかイケてます。

 

www.youtube.com

 

 なお、ここでいう「コンパクト盤」はCDのことではなくて、シングルレコードと同じサイズで33回転のレコードのことです。 

 そしてロイターで挙げられたABBAについては、ソ連時代の月刊誌『クルゴゾール』1981年11月号の付録のソノシートに収録されているそうです。

 

www.youtube.com

 

 と偉そうに書きましたが、ロシア語全然分かりませんorz 誰か、何を言ってるのか教えてください……

 もちろんこれはモンゴルではなくソ連の例です。ですが、兄貴分のソ連で聴ける音楽をわざわざモンゴルだけ禁止するというのも考えにくいところです。むしろ、禁止されていたというより、社会主義計画経済体制下で合法的な民間貿易がほぼ不可能だった中で、西側の音楽が大量に流入する道が事実上なかっただけではないかとすら思えます。

 ただ、禁止されてようが情報が少なかろうが、当時のモンゴルで何らかの方法でビートルズをはじめとする西側の音楽を知った人々がいたのも確かです。だからこそモニュメントが建てられ、今こうして問題が生じているわけですし、今後の動向も気になってくるのです。