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人には添うてみよ、馬には乗ってみよ、酒には酔うてみよ。

【モンゴル大統領選挙2017】立候補者のプロフィール(1)エンフボルド国会議長(モンゴル人民党・6/7一部修正)

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 2017年モンゴル大統領選挙の公式な活動期間が本日6日から始まります。今回から現地報道および『アジア動向年報』を基に、立候補者3名の簡単なプロフィールを紹介します。まずはモンゴル人民党から立候補したエンフボルド国会議長です。

 

 

 エンフボルド国会議長は1964年生まれの52歳。当時モンゴル随一の総合大学であったモンゴル国立大学経済校を卒業後、1987年にウランバートル市職員として就職します。その後民主化旋風の真っ只中にあった1990年に、社会主義時代の独裁政党であった当時のモンゴル人民革命党*1に入党すると、1992年にはウランバートル市チンゲルテイ地区副長*2および人民革命党委員会委員長、1996年には同地区議会議長、1997年には首都党委員会委員長、1999年には首都知事兼ウランバートル市長に相次いで就任*3、地方に支持基盤のあるモンゴル人民革命党=現モンゴル人民党の中では珍しく(?)、首都でキャリアを積んできた政治家です。ちなみに、この間の1996年には日本留学経験もあります。

  そして2005年、エンフボルド氏は人民革命党大会で党首に選出されたのに続いて、同年の国会補欠選挙で当選、国政に転じます。翌年の2006年には早くも首相に就任しますが、当時人民革命党は国会の過半数を握っていなかったことから連立政権樹立を余儀なくされた上、自身の汚職疑惑や党内外の対立、支持率低迷にあえいだ末、2007年に内閣総辞職と党首辞任に追い込まれます。

 しかし、首相辞任後もエンフボルド氏は副首相として政権に残り、以後国会総選挙や首相の交代、党の分裂を経ながらも、2012年までその地位を維持します。2012年に党は国会総選挙で敗北して政権を失いますが、議席を守ったエンフボルド氏は国会副議長に就任、2013年には大統領選挙敗北の責任を取って辞任したエンフトゥブシン党首の後任として党首の座に返り咲き、唯一の野党として党の存在感を維持することに成功します。 

 そして2016年の国会総選挙で地滑り的勝利を収めると、国会議長に就任。党の主導的立場にいる人物が政権を手にしながら首相にならなかった時点で、大統領就任への野望が見え隠れしたところ、はたして今回満を持して立候補したのです。

 現在のモンゴルは一応二大政党制にはなっていますが、一方の民主党は単独で政権樹立できるほどの支持基盤がなく、最大の政党と言えば現人民党(旧人民革命党)になります。エンフボルド国会議長はその人民党の主導者であり、現時点では大統領に最も近い候補と言えるでしょう。

 しかし、氏の泣き所は個人人気の低さです。今年3月の世論調査『ポリトバロメートル』によれば、「今年の選挙で大統領になってほしい大物政治家」としてエンフボルド国会議長を選んだのは、回答者のうちわずか4.6%で、前回の選挙で人民党から立候補したバト=エルデネ国防相をも下回る結果でした。厳密な意味での全国調査の結果ではないこと、かつ回答が分散している(最も多かったバト=エルデネ国防相でも9.8%しかない)ことは留意すべきですが、党組織と支持者をまとめきれなければ、足元をすくわれることも十分あり得ます。

 この後のエントリでは、民主党の候補者バトトルガ元工業・農牧業相、モンゴル人民革命党の候補者ガンバータル前国会議員についてご紹介しています。

 

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 またご参考までに、【モンゴル大統領選挙2017】過去のエントリもぜひご一読ください。

  

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*1:現在のモンゴル人民党モンゴル人民革命党の前身。以下「人民革命党」と略します。

*2:当時のウランバートル市、現在の首都における「地区」は日本の政令指定都市の「区」に相当しますが、公選の首長と議会を有します。

*3:現在のモンゴルでは「首都」が県と並ぶ行政単位となっており、「市」は行政単位とは別建ての地方自治単位として位置づけられています。ただしウランバートル市に関しては「首都」と実質的に同じで、首都知事が市長を兼務しています。