2日目、仙台は気持ちのいい朝です。これから今年春に復活したもう1つの区間、常磐線小高ー浪江間へ乗りに行きます。
福島県内の小高-浪江間は、ご存知の通り東日本大震災と福島第一原発事故で不通となりましたが、浪江町内の避難指示が解除されたことに伴い、4月1日に運転が再開されました。ここを乗り通せば、JRの暫定全線(長期間運休中の路線を除く全線)乗破状態に戻すことができます。はやる気持ちを抑えながら仙台駅のホームに降りたのですが、
直前に発車した電車が、ホームを出たところでなぜか停車。
不思議に思っていると、数分後に案内放送があり、名取付近で電車が走行中に異常音を感じたため、停車して点検中とのことです。そのせいで、この電車含め付近を走る列車はすべて緊急停止することになったのでしょう。
ところが、この後何分待っても電車が動きそうにありません。昨年暮れ、常磐線相馬ー浜吉田間に乗りにいったときのダイヤ大混乱の悪夢が頭をよぎります。
この時は何時間遅れようが何とかなったから良かったのですが、今回は多少スケジュールに幅は持たせているものの、この日のうちに高知まで戻らないと、翌日の授業ができなくなってしまいます。いくらなんでも、初回の授業から休講にするわけにはいきません。多少の焦りが出てきます。
ただ、その後安全が確認されたということで、順次運転を再開。ホームには本来の発車時間間際になって、乗車予定の原ノ町行が入ります。この電車もホームで前の電車との調整でしばらく待ちましたが、8分遅れで仙台発車。ひとまず安堵の息が漏れます。
一息ついたところでいろいろチャージ。宮城には地酒が多くありますし、それらもそれらで堪能するのですが、東北楽天ゴールデンイーグルスのマスコットキャラクター、クラッチの柄の缶チューハイを呑まないと仙台に来た気がしない、という考えてみればよく分からない感覚があり、この日も結局NEWDAYSで調達しました。
さて、電車は運転再開まもない東北本線を、普段には考えられないほどゆっくり進みます。前の電車がつかえているかららしいのですが、そのせいで遅れはさらに拡大。ただ、名取付近を過ぎると途端にスピードが上がります。おそらく異常音がした電車が停まっていた辺りまで、安全確認のため徐行が命じられていて、それで前の電車からノロノロ運転になっていたのでしょう。
ともあれ、さらに常磐線区間に入り、新たに敷設された高架区間を電車は快調に飛ばしていきます。
結局原ノ町には11分遅れで到着しました。相馬野馬追のイラストも、すっかり見慣れた感があります。
原ノ町では浪江行に乗り換え。4月1日から、それまで小高止まりだったのが浪江まですべて延長されたのです。
原ノ町駅には運転再開を祝う幟が立っています。浪江-仙台間という書き方で、仙台とのつながりが復活したのを喜ぶような書きぶりです。
浪江行の電車はこの2両編成。乗り換え時間がもうほとんどないので、写真を撮ったらすぐに乗車します。
ほどなく発車した電車は、磐城太田から小高を経て、復活区間に入ります。しかし10分と経たないうちに、終点浪江到着のアナウンスが入りました。
小高-浪江間は9.4キロ、間にあるのは桃内駅だけ。たったそれだけの区間を再開させるのに、6年と1ヶ月近い年月がかかったのです。さらに、それだけ経っても、まだ復活させられない鉄路も残っているのです。
長く待ちわびていた割にはあまりに呆気なく、電車は浪江駅に到着しました。ほとんどピストン輸送なので、電車は折り返しの時間もほとんどなく、原ノ町へと戻ることになります。
浪江駅の駅名板。ここから南は不通区間ですが、次の双葉駅の表示は特に覆われてはいません。
当面ホームは1つあれば事足りるということで、浪江駅の跨線橋は封鎖され、使わない線路の上に仮の通路が渡されていました。現在の南側の折り返し駅となる竜田駅でも、同じ処置が施されています。だったら改札に直結したホームを使えば楽ではないかと思うのですが、信号の系統上、折り返しができないのかも知れません。
今通って来た小高、原ノ町、岩沼、そして仙台方面。真新しい敷石の上に伸びた線路は、使われず錆びがついたまま。この錆が落ちるのは、まだ先のことでしょう。
南の双葉からいわき、日暮里、上野方面。この区間はまだ、電車が走ることはありません。
常磐線で残る不通区間は、この浪江から竜田の間。このうち竜田から富岡までは、年内の運転再開に向けた作業が進んでいます。しかし、最後に残る富岡-浪江間は復旧作業もままならず、再開は2, 3年後になるとのことです(JR東日本「常磐線運転再開の見通しについて」2016年3月10日・PDF形式)。
とはいえ、ここが開通すれば、常磐線の全線復旧が果たされます。その時には、今経っているところにも、電車や貨物列車が帰ってくることでしょう。
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