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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

2016北海道・東日本パスの旅(6)気仙沼線を乗り継ぎ乗り通す

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 旅行3日目。風雨はいよいよ強さを増していきますが、動けるうちに動かなかったら、鉄道・バスとも止まって立往生の憂き目に遭いかねません。運行状況の速報をにらみながら、石巻を出発します。

 

 

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 通りがかった観光バスは、『孤独のグルメ』の全面ラッピング塗装。団体旅行には向いてなさそうな気がします。

 

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 石巻駅に着きました。三角屋根とステンドグラス、そしてサイボーグ009のキャラクター。いつ見ても独特の極みです。

 

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 仙石線の電車を横目に、ディーゼルカーを待ちます。今日は気仙沼線を手始めに、三陸海岸を一気に北上する予定です。

 

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 石巻線ディーゼルカーが入ってきました。これで前谷地まで出て、気仙沼線に乗り換えます。「奥の細道」というロゴが入っていますが、石巻線沿線はあまり関係がなかったはずで、この車両は「奥の細道湯けむりライン」という愛称を付けた陸羽東線が主な職場です。

 

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 石巻を出た時はあまり降っていなかった雨が、時折強く降るようになる中、列車は前谷地に着きました。ここからは気仙沼線の列車に乗り換えます。

 

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 気仙沼線の出発点を示す0キロポスト。この前谷地から気仙沼まで、気仙沼線は72.8キロの鉄道路線でした。

 

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 しかし、列車は5駅先の柳津で運転終了。気仙沼線がまだ柳津線と呼ばれていた頃の終点です。

 ここから気仙沼までは東日本大震災で鉄道の運転ができなくなり、現在は一部鉄道のルートを利用したBRTで運転されています。そして大震災から5年以上、鉄道線としての復旧は絶望的となっています。

 

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 駅は観光案内所を兼ねた施設になっています。地元の風景の写真に加えて、仙石線をかつて走っていた旧型電車の写真が飾られていました。

 

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 まだ8月も終わっていないのに、屋内に電気ヒーターが置かれています。北国の夏は短く、その終わりを告げるか告げないかの時に、もう冬支度を始めないといけない。モンゴルもそんな感じです。

 

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 BRTのバスがやって来ました。バス自体は前谷地から直通運転していて、先程の列車の後に前谷地を出ています。なので、こちらに乗って乗り換えなしで気仙沼まで行くのが理にかなった移動ではあるのでしょう。

 ただ、それでもどうしても鉄道に乗っておきたかったのです。本当なら気仙沼まで走るはずの鉄道に。また、各駅停車でトイレ付、車内移動も可能なディーゼルカーに対し、BRTは前谷地・柳津間がノンストップでありながら、前谷地ディーゼルカーの2分後に出て、柳津に到着したのは5分後、そして車両はご覧の通りの路線バス用、窮屈とまではいいませんが、鉄道ほど楽に過ごせる感じはありません。ともあれ、これが「気仙沼線」になってしまったのです。今は、この天気で動いてくれていることをありがたいと思うしかありません。

 

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 BRTは一部区間で一般道路を離れ、鉄道線を舗装したルートを走ります。この区間はBRT専用で、他の車が入らないよう標識や遮断機が設けられています。ただ、まだ工事中のところが多く、専用道を少し走っては一般道路に逆戻り、の繰り返しです。

 

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 志津川駅付近まで来ました。震災前までの中心街は、今嵩上げ工事の真っ最中。そんな中で、新たな施設が建てられつつあります。

 

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 大津波が押し寄せた跡地から、建設予定地、造成地に。その先にどんな街ができるのかは、まだ分かりません。

 

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 志津川から歌津へ。大震災のはるか前、街だったこの地に現れたアザラシにちなんで名づけられた橋が、大津波を経て、今もそのままぽつんと残っています。ここに街があった頃の、ただ一つの名残です。

 

(参考)2006年撮影の周辺風景。■伊里前川(歌津) | 清らかな流れ | 自然の輝 | 南三陸町 VIRTUAL MUSEUM

 

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 バスは再び専用道に乗り、トンネルに入りました。列車のサイズで作られていることを除けば、すっかり自動車用の新し目のトンネルになってしまいました。

 

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 気仙沼線の中心駅の1つ、元吉駅。路線図には鉄道の路線図よろしく「JR線」と書かれています。国鉄民営化前後にバスに転換されたローカル線は多々ありますが、この路線は同じバス転換でもJRから切り離されたわけではない、ということです。

 

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 かつて駅舎があったであろう場所に整備された停留所から、再び専用道へ。そしてまた一般道へ。

 

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 本吉から気仙沼への海岸沿いの道。果ての見えない、あの大海を背景に、小さな慰霊の言葉が置かれていました。

 

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 バスはいつしか気仙沼の市街地に入り、終点気仙沼に到着。ここから北に向かうのも、またBRTです。