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人には添うてみよ、馬には乗ってみよ、酒には酔うてみよ。

モンゴル訪問の記録より(11)(終)「本の宮殿」で文字と名前のややこしい話が始まる

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 13世紀村での時間も残り少なくなりました。夜にはウランバートルに戻らないといけません。最後に訪れたのは「本の宮殿」と呼ばれるゲルです。

 

 

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 「本の宮殿」というのは、看板に書かれたモンゴル文字モンゴル語、ローマ字に転写するとNom-un Örgüge、モンゴル国で一般的に使われるキリル文字ではНомын Өргөө、これをさらにローマ字に転写するとNomyn Örgööというのをそのまま訳したものです。*1って、またややこしい話を書いてますが、これについては後で解説します。

 一方で、看板に示された英語では"Educational Camp"とあるんですが、だからって「教育(的)キャンプ」と書いてしまうと、社会主義時代の強制収容所を想像してしまうので、モンゴル語直訳の方が良いかなぁと考えた次第です。

 

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 建物の屋上にゲルが建てられています。この中で、モンゴル文字の書道で名前を書いてもらうサービスがあるのだそうです。

 

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 ゲルの中に入りました。中央には馬頭琴が置かれています。手前にあるのはチベット語のお経でしょうか。お経などの昔の文書は、今の本のような綴じ方はされていなくて、折り畳み式になっているのをよく見かけます。確かに、手で作るならこの方が楽ですし、何より場所を取らずに持ち運びが便利という、移動民にとって最大の利点があります。

 

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 チェスのボードと駒。モンゴルにチェスがいつ入って来たかは定かではありませんが、白黒チェックのボードには、正直なところ13世紀的なイメージはありません。ともあれ、現在のモンゴルでは、チェスは結構普及していて、日本の青空将棋よろしく、ウランバートルでは公園でチェスに興じているおんちゃんを見かけることもあります。

 

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 当時の机だそうです。イスやテーブルが普及する以前は、こうして床の上で書き物をしていたということでしょう。もっとも、モンゴルで識字率が上がったのは前世紀の話なので、それまでこういう机で読み書きできた人がどれだけいたかは疑問ですが。

 

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 一方で、こちらは椅子に座るタイプの机。この机を使って、モンゴル文字の書道で名前を書いてもらいます。

 ところで、ここまでモンゴル文字モンゴル語キリル文字モンゴル語について説明してきませんでした。モンゴル文字というのは、今書いてもらっている通り縦書きで続けて書く文字で、モンゴル語学習者の間では「縦文字」と呼ばれます。ただし日本語やハングル、中国語といった東洋言語の縦書きとは逆に、行は左から右に流れていきます。

 モンゴル文字ウイグル(現在のウイグル族とは異なる遊牧国家)の文字をモンゴル語の筆記に当てたもので、モンゴル帝国期に導入された文字です。ウイグル文字をさらにさかのぼれば、古代地中海のアラム文字までたどれる、つまり英語のアルファベットやキリル文字とルーツが一緒なんですが、面倒臭ければ最低限「漢字とは無縁」ということだけ覚えておいてください。

 そういうわけで、モンゴル文字はアルファベット同様の表音文字、つまり文字によって発音のみを表す文字です。ただ、実際使うとなると正直なところ厄介です。というのは、同じ音でも単語の頭・中・終わりで形が違ったり、逆に同じ文字でも単語によって表す音が違ったり、さらに現代のモンゴル語とは表記と発音に大きな差が出ていたりと、いろいろ問題があるんです。そういうこともあり、モンゴル文字に変わる文字システムの開発は、早くもフビライ・ハーンの時代から行われてきたのですが、結局のところどれも普及しませんでした。

 その間モンゴルが紆余曲折を経て、モンゴル人民共和国(今のモンゴル国の前身)が成立すると、1941年にロシアで使われているキリル文字を一部改良した上で導入することが決まります。そして、今度は政府による普及政策が成功し、現在のモンゴル国ではキリル文字によるモンゴル語表記が完全に浸透しています。一方のモンゴル文字は、一時完全復活に向けた動きもありましたが財政難等で挫折し、現在使用機会は増えているものの、キリル文字に取って代わる可能性はほぼゼロです。一方、モンゴル国と分かれた南(内)モンゴルのモンゴル語は、今もモンゴル文字で書かれるのが一般的です。

 

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 参考までに、国際モンゴル学者会議の写真を再掲します。地球マークの上方、青字で書かれているのがキリル文字モンゴル語、下の縦書きがモンゴル文字です。

 

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 ノートに姓名を書くと、それをモンゴル文字に転写して筆記してもらえます。最後に落款を押せば完成です……が、ここでもう1つ厄介な問題が出てきます。日本人の姓名のうち、どちらを先に書くか、という問題です。

 実は、(特にモンゴル国の)モンゴル人は、公的機会で姓を使うことがほとんどありません。そもそも姓を知らない、あるいは持ってない人も多いはずで、一般的に使われるのはギヴン・ネーム、日本でいう「下の名前」です。ならパスポート等の姓の欄はどうするのか、というと、一般的には父称を使います。って何なのかというと、父親の「下の名前」を「(父親の名前)の」という形にして記入するのです(例外もありますが省略)。

 例えば白鵬の名前はМөнхбатын Даваажаргалと言います。ローマ字ならMönkhbatyn Davaajargalです。このうちМөнхбат/Mönkhbatというのが彼の父親の名前、ын/ynが「~の」に当たる語尾、Даваажаргал/Davaajargalが白鵬自身の名前です。ただ、この「姓」名をいちいち表記するのは面倒なので、新聞等では父称を頭文字だけにして、М. Даваажаргал/M. Davaajargalとするのが普通です。

 という、これまた日本語話者にはとっつきにくい話をしましたが、その上で、ならばモンゴル人以外の名前をどう表すか、という問題も出てきます。これについては、「基本その国なり地域の言語での表し方を踏襲する」というのが原則のようです。ってか、特にいじらないんですね。なので、例えばオバマ米大統領ならB. Obamaとなります。これはこれで楽なんですが、考えてみるとモンゴル人に関しては「姓」代わりの父称を略し、モンゴル人以外は「下の名前」を略すわけで、ここにねじれがあります。ああややこしい。

 その上で、さらに厄介なのが日本人のケースで、こちらは「下の名前」が先で姓が後、という書き方をされる場合がほとんどです。安倍首相ならШинзо Абэ/Shinzo Abeとなります。この理由は分かりませんが、仮説としては、日本で英語教育が浸透したおかげで、日本人が海外で名前を示す時に「下の名前」を先に出す習慣が身に付いたせいではと思っています。

 で、私はというと、こういう習慣に完全に納得してはいません。ことモンゴル語を使う時に関しては、モンゴルの人々と同じく、「下の名前」は後に回すことにしています。それで誤解が生じることもないではないですが、「下の名前」→姓の順が一般的な言語なら、その順番を尊重するのにやぶさかではないにせよ、モンゴルはそうではありませんし、姓を先に出す方がモンゴル語のみならず、日本語の言語文化にも忠実です。さらに言えば、中国語や韓国・朝鮮語話者の名前はモンゴル語でも姓→名の順で示されているわけで、日本語話者のみが順を変える謂れはないはずです。

 と、最後は妙なナショナリズムが顔を出しましたが、そういうわけで私自身はモンゴル語でも姓→名の順を守っているので、今回もそういう形で書いていただくことにしました。

 

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 もういっちょ再掲。国際モンゴル学者会議で私自身が書いた署名です。こちらも上が姓、下が「下の名前」です。

 ともあれ、これで13世紀村での日程は終了。そして、翌日は早朝の飛行機で発つため、あとはウランバートルに帰り、夕食と荷造りが残るのみ。今回のモンゴル訪問の日程もほぼ終了です。

 

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 帰り道、チンギス・ハーン像のそばを通りかかりました。

 

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 草原に突如現れた、尋常ではないスケールの像の近くで、そんなことはお構いなしと草を食む羊の通常運転。

 

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 大ハーンに暇を請って、さらばモンゴル、できればまた来年。

 

※ シリーズ過去エントリを示します。よろしければ、こちらも。

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*1:モンゴル文字キリル文字の転写方法は完全に統一されているわけではありませんが、ここではモンゴル文字についてはなるだけ一般的なもの、キリル文字についてはモンゴル政府の定めたものを使いました