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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

モンゴル訪問の記録より(5)ウランバートルの平日と休日

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 国際モンゴル学者会議も終わり、次の会議まで間があります。この間資料収集に出かけたり、報告の準備をしたりもしつつ、ウランバートルの中心街を歩き回りました。

 

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 先の画像はウランバートルの中心地で50年以上営業している老舗ホテル「ウランバートル・ホテル」。その正面は以前は駐車場だったのですが、現在は地下に移転すべく工事が進んでいて、跡地には芝生を整備中です。

 その脇に、中心街を模したモニュメントが置かれていました。

 

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 右側の明るい色の建物が、ウランバートル・ホテル。その隣の独立宮殿(モンゴル人民党本部)、左奥の政府宮殿をはじめ、結構忠実に再現できている感じです。

 

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 少し歩くと、中央郵便局の隣にモンゴルの通信社モンツァメによるニュース写真のボードがあります。こちらは白鵬モンゴル国内で開催したアマチュア相撲の世界大会の写真です。

 

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 右隣に国際モンゴル学者会議の写真があったので見ていると、モンゴル人の中年男性が寄ってきました。何かと思えば、写真のうち外国人研究者を指さして、

「この人知らない?」

 ただ、残念ながら私の存じ上げる人ではないので、

「知りませんなぁ~。隣の人なら分かるんですけど」

「知らないのかぁ~」

 そんなことを言いつつ、しばらく写真を見ると、その人は去っていきました。

 挨拶も何もなし、見知らぬ相手にいきなり尋ねてくる。日本の多くの人々は面食らうでしょうが、モンゴルでは別段珍しいことではありません。最近では「済みません」という人も増えてきた印象はありますが、知らない相手だろうが何だろうが、自分が分からないことは尋ねて当たり前。尋ねられた方も答えられれば答えるし、無理なら「知らない」と答えるだけの話です。その代わり、自分がモノを尋ねる立場になったら、遠慮せずたずねればいいのです。そんな感じで、私もいきなり時間を尋ねられたり、バスやトロリーバスの行先を尋ねられたりということは結構ありましたし、逆に尋ねることだってありました。そうやってみんなで生きていくのです。

 もっとも、1つだけ注意点はあります。残念ながらモンゴルではスリの被害が後を絶ちません。急に声をかけてくる人がいたとして、相手の気を引くうちに、別のものが示し合わせて財布やお金をすっていく、という可能性も頭に入れておく必要はあります。そういう世知辛い現状も含めた、今のウランバートルです。

 

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 さておき、自由広場まで歩いてきました。奥には博物館があり、その手前のテントは、新学期前のセールの開店準備という模様です。

 

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 広場では移動遊園地が開業前。

 

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 子供用の汽車もあります。機関車の正面はどこかで見たようなジャンルの顔ですが、気にしないことにしましょう。

 

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 滞在中は会議で提供されない限り、昼食は適当に入った食堂で食べます。ウランバートル市内は、今ではたいがいの料理が食べられるようになりましたが、せっかくだからモンゴル料理を食べたいのと、安く上げたいのとで、私は安い食堂を探して入るようにしています。

 こちらは、右が揚げ餃子風の「ホーショール」。形はいろいろありますが、丸く平らに広げた生地に肉を挟むのが、安い食堂で良く出されるスタイル。手間もかからず安上りなのです。

 左側はポテトサラダですが、モンゴルでは「ニースレル・サラート」(首都サラダ)と言った方が通りが良いかも知れません。20世紀後半、農耕の本格化と生活の西洋化によって野菜が食卓に上るようになり、都会=ウランバートルではポテトサラダを食べるようになった。田舎で遊牧生活を続けてきた人がウランバートルに上京してくると、この「サラダ」なる料理を見るようになった。そんなサラダなので、首都のサラダと言われるようになった……そんな話を以前聞いたことがあります。本当かどうかは分かりませんが。

 

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 こちらはバンシタイ・ツァイ。モンゴル風のミルクティーの中に、肉を小麦粉の生地で包んだ「バンシ」が入っています。私がモンゴルに行くたびに食べたく、(飲みたく?)なる料理の1つです。お茶と言いつつ脂ぎっているのに違和感を覚える方もいらっしゃるでしょうが、冬場はここにラードを入れることすらあります。そうやって脂肪をしっかり摂ることで、零下20度、30度の寒さに耐えるのです。

 

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 こちらはモンゴル料理の定番中の定番「ボーズ」。これまた餃子っぽく見えるかも知れませんが、中身は肉、脂肪、そして肉汁。この肉汁が手にかかると熱いので、うまく吸い出すのが美味しく食べるコツ、と言えばそんな感じです。

 

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 スフバータル広場に来ました。ロシアでいう「赤の広場」に当たる、政府宮殿前、市内中心の中心にある広場です。確か2年前に「チンギス広場」と改称されたのですが、先日の裁判で名前を戻すよう判決が出たので、社会主義時代からの呼称「スフバータル広場」が復活するようです。

 この東側、ビルに囲まれたピンクの建物は、国立オペラハウス。モンゴルの音楽文化の拠点であり、この辺にある他の古い建物も含め、第二次世界大戦後に強制連行された日本人抑留者が建設した建物でもあります。

 

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 先程の写真だと遠いので見づらいかと思ったのですが、適当な写真が無かったので、国際モンゴル学者会議初日のものを流用。こちらは政府宮殿前での記念撮影の合間に取ったもので、右側の建物がオペラハウスです。

 

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 時間を戻して、広場にテントが並んでいるので見てみると、こちらも新学期セールの準備中。その中を通って、オペラハウスに行ってみました。

 

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 モンゴルのオペラ・クラシックと言うとイメージが湧きにくいかも知れませんが、社会主義時代には旧ソ連の衛星国と言われただけあって、ロシア経由で西洋音楽を受容してきた歴史があります。そのため、現在もロシア・東欧もののコンサートやオペラ・バレエは結構上演されているようで、私が訪れた時も「白鳥の湖」の上演案内が出ていました。写真で3つ掲げられているうちの真ん中がそれで、上がモンゴル語、下が英語です。日付は気にしない。

 ただこの案内、今でこそ英語版も真っ当なものが出ていますが、昔は正直言ってアレでした。特に、20年前に見た「白鳥の湖」は、写真を撮ったのが残っていますが、

 

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 よーく見て、気がついて、あんまりにもあんまりだと思いました……