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2016モンゴル国会総選挙一口メモ(6)モンゴルの政党3. (現)モンゴル人民革命党

 モンゴル国会総選挙一口メモ、今回はモンゴルの二大政党以外、いわゆる第三勢力で現在最大の議席を持つ(現)モンゴル人民革命党についてです。

 

 

1. 旧人民革命党の改称に反発する勢力が結成

 前回のエントリで述べた通り、2010年に旧モンゴル人民革命党は「モンゴル人民党」への改称を決定します。ところが、エンフバヤル前大統領を中心とする党員がこの決定を認めず、「モンゴル人民革命党臨時本部」を設立して事実上独立しました。その後、臨時本部派は一部離脱者を出したものの、2011年に新党設立の手続きを取り、エンフバヤル前大統領を党首として「モンゴル人民革命党」の名を持つ政党を復活させています。もっとも、彼らからすれば手続きはとにかく、改称自体が無効であり、彼らこそが旧人民革命党の歴史を受け継ぐ政党となるのですが。

 

2. 党首エンフバヤル前大統領の個人人気が支え

 現モンゴル人民革命党の党首エンフバヤル前大統領は、世論調査でもしばしば人気政治家として名前の挙がる人物あり、彼が第三代大統領(「前」大統領ではない点がミソです)として活動することで話題を作ってきた面は否定できないでしょう。

 もちろん、エンフバヤル党首以外にも主要な政治家はいる(いた)のですが、上述の通り、また後の方でも触れますが、その多くは結果として党を離れています。良くも悪くも、現人民革命党はエンフバヤル氏の党と言えるでしょう。

 

3. 2012年総選挙後で躍進

  再設立された現人民革命党は、モンゴル民族民主党*1と「正義」同盟*2を結成、2012年総選挙に臨みます。

 ところが、総選挙の2ヶ月近く前にエンフバヤル党首が汚職で逮捕される衝撃に見舞われます。これにより法律上エンフバヤル党首の立候補は認められなくなったのですが、人民革命党側は逮捕を不法として、ハンガーストライキに打って出るとともに、エンフバヤル党首を含めた「正義」同盟としての比例代表候補名簿を公表します。

 その後、2012年の総選挙では「正義」同盟は11議席を獲得、第三政党の座に着いたのですが、エンフバヤル党首の立候補を認めない選挙中央委員会と人民革命党が対立、「正義」同盟の議席数が決まりながら当選者が決まらないという珍事が起きてしまいます(この辺は『アジア動向年報2013』収録の拙稿もご参照ください)。結局は人民革命党側が折れる形となり、一方のエンフバヤル党首は後の裁判で有罪確定後に大統領の恩赦を受けることとなったのですが、そもそも逮捕自体を認めない人民革命党側の態度はこの後も騒動のタネとなります。

 

4. 連立政権に加わるも、独自行動を連発

 2012年総選挙では過半数を得た政党・同盟がなく、結果として比較第一党の民主党が「正義」同盟と市民の意志・緑の党(後のエントリでご紹介します)とともに連立政権を樹立しました。ところが、人民革命党は選挙後もエンフバヤル党首の立候補無効判断の取り消しを主張、民主党が消極的と見ると連立離脱をちらつかせます。ただしこれには同盟を組むモンゴル民族民主党の協力が得られず、結局は政権に残留することとなりました。

 さらに、翌2013年の大統領選挙に際しては、袂を分かったはずのモンゴル人民党に接近、統一候補擁立に向けて動きます。これが不発に終わると単独候補を擁立しますが、この時もモンゴル民族民主党民主党の現職エルベグドルジ候補を支持、連立与党内ばかりか同盟内でもねじれが生じる事態となります。ちなみに、選挙結果はエルベグドルジ大統領の再選でした。続く2014年には民主党との間で協力協定を締結、ようやく連立枠組が強固になるかと思いきや、民主党内から大反発が起き、党を率いていたアルタンホヤグ首相が首相・党首辞任に追い込まれてしまいます。大変ですね。

 

5. 2016年総選挙目前で混乱

 奔放とも言える行動を続けてきた人民革命党ですが、2016年に入ると内部の乱れが露呈します。まずアルタンホヤグ氏の後を受けたサイハンビレグ現首相の不信任案が国会に上程されると、エンフバヤル党首の反対にもかかわらず「正義」同盟の一部議員が賛成を表明します。

 それでも解任案を何とか不成立に持ち込んだ人民革命党は、その見返りとばかりにエンフバヤル党首を副首相に就任させるよう民主党に要求します。そしてこれが受け入れられないと、今度は人民党に再接近、選挙協力ばかりか再合流の観測まで流れます。しかし、人民党側の反発でこれらの動きが不首尾に終わると、あくまで両党の協力にこだわる人民革命党の一部議員が離党、結果として「正義」同盟の議席は国会内会派として必要な8議席を下回る羽目になりました。

 一方、2016年総選挙で人民革命党はもエンフバヤル党首の立候補を主張、選挙中央委員会と対立します。法律によりエンフバヤル党首は2017年まで被選挙権が剥奪されているのですが、これを無効と主張したのです。結果としては、人民革命党がエンフバヤル党首に代えて妻のツォルモン氏を立候補させる形で矛を収めましたが、一時は総選挙に参加できず、騒動が選挙後まで続く懸念もありました。

 そんなこんなで、何かとお騒がせの現モンゴル人民革命党ですが、2016年総選挙は苦戦が予想されます。今回は民族民主党が総選挙に参加せず、第三勢力の糾合もできなかったため、単独で完全小選挙区制の選挙に臨まなければなりません。候補者としてエンフバヤル党首を欠くのも痛手でしょう。モンゴルのメディアを見る限り、選挙キャンペーンの規模こそ民主党・人民党に次ぐ勢いを感じますが、あくまで「次ぐ」勢い。二大政党に割って入るのは楽な話ではありません。

 2016モンゴル国会総選挙一口メモ、次回は4年前の総選挙で二大政党以外に議席を獲得したもう1つの政党、市民の意志・緑の党についてです。

 

 

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 なお、過去のエントリはこちらです。

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*1:民主化直後に同名の政党ができましたが、これは現民主党に合流したので、今のものとは異なります。ああややこしい。

*2:日本政府・外務省の訳では「公正」となっていますが、元となるモンゴル語および英語訳から、私は上記の訳を使っています