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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

ゴルゴ13・162巻『ノモンハンの隠蔽』を読んだ話

 先日大阪に行った時、時間があったので古書屋街に寄ってみたところ、ゴルゴ13の162巻「ノモンハンの隠蔽」というのを見つけました。このシリーズでは44巻に「モンゴルの鷹」というストーリーがあったのですが、それ以来の発見です。

 

 この巻には表題作を含め3つのストーリーを収録。当然ながら私が注目するのは表題のノモンハンの隠蔽」です。

 「『ノモンハン』ってなに?」という方に簡単にだけご説明します。1939年に旧満州・モンゴルの境界線を巡り、満州・日本対モンゴル・ソ連の間で軍事衝突が発生、4ヵ月の間会戦が続いた結果、満州・日本側が敗北を喫しました。この一連の経過が、日本では一般に「ノモンハン事件」と呼ばれています。

 ……と、なんとも歯切れの悪い、漠然とした表現が多くなってしまいましたが、実はこれを「事件」と呼ぶのは過小評価であり、「戦争」が適切ではないかという議論があったり、そもそも「ノモンハン」なる地名は本来なく、モンゴルやソ連(現ロシア)では現地付近を流れるハルハ河を呼称に用いているという事実もあります。ただし、モンゴル語では「戦争」ではなく「会戦」と呼ぶのが一般的*1だとか、複雑な議論があるもので、スパッとした記述ができない事情があるのです。ともあれ、ゴルゴシリーズでは久々のモンゴルに関するストーリーということで、収集することにしたのでした。

 ストーリーは事件/会戦/戦争の「記録」をめぐって展開されます。中堅精密機械メーカーの社長は、自らの死期を悟った父親に遺産相続の条件として、フィリピンに残る戦友を探し出し、彼が知っているであろう「遺品」を持ち帰るよう要求します。父親は「ノモンハン事件」(ここではあえてこう書きます)に加わった旧軍人だったのです。社長は父親のかつての部下来栖元伍長とともにフィリピンに飛び、戦友の証言を得るとモンゴル・ハルハ河へ遺品探しに向かいます。しかし、彼らのかつての上官は「遺品」が見つかることで戦時中の悪事が暴かれることを恐れ、ひそかに社長と来栖を葬らんと刺客を送ります。ただ来栖はそのような妨害工作を見通していて、妨害を封じるべく「最高のプロ」に依頼をしていたのでした……

 このように、旧帝国軍人どうしの対決が主になった本作では、モンゴルは舞台のうちの1つというだけの扱いです。前回の「モンゴルの鷹」に比べると、現地の描写は非常に限定的ですし、「日本マンガの中のモンゴル」を調べる上では、あまり役に立たないかも知れません。

 ただ、モンゴル屋の視点から離れて読めば、非常に面白い作品であったことは確かです。まず、ストーリーの主人公が別に存在していて、ゴルゴ13は彼らからかなり離れたところで動いている点が特徴的です。さらに、この巻に収録された他のストーリーとも共通するのですが、人間の情とでも言うべきものが滲み出ているのも、ハードボイルド的、あるいは国際情勢を巡るストーリーがともすれば目立つゴルゴ13シリーズの中では違った味があります。

 一方で、このストーリーのタイトルはあくまで「ノモンハンの隠蔽」であり、ストーリーの一番のカギは会戦の地に埋められた/隠蔽された「遺品」です。その「遺品」を巡る対決や謎解きという、シリーズらしい魅力も見逃せません。

 では、その「遺品」とはなにか?それを言ってしまえばネタバレになりますので、ここでは隠したままにしておきましょう。あえて書くとすれば、それは財宝や、闇に葬られた歴史の事実といった大それたものではありません。むしろ、誰でも理解できるであろう、普遍的な、あるいは「ありふれた」ものと言った方が適切かも知れません。

 だとすると、そんな「ありふれた」ものを引っ張り出す手伝いだけのために、何十万ドル、あるいはそれ以上の大金をはたいてゴルゴ13を雇うのか? 読み進める中でそんな疑問を持つ人も出てくるかも知れません。私自身、そんな疑問が頭に浮かんだことは確かです。

 しかしながら、そのような疑問は、あくまでもわれわれの感覚で浮かぶものです。本作が刊行されたのは2011年、事件/会戦/戦争から70年が既に経過しているのです。当事者の余命はいくばくもなく、いわば「最後の願い」を果たして生涯を終えられるかどうかという状況です。さらに言えば、その願いは決して個人だけのものではありません。モンゴル東部のだだっ広く蚊だらけの草原で命を落としていった日本兵たちの願いも込められているのです。

 だからこそ、彼らにとっては、この願いを妨げることはどれだけの犠牲を払っても阻止しなければならなかった。そのための最も確実な手段がゴルゴ13に依頼することであれば、対価を惜しむ理由などなかった。そのように理解すべきではないか、そう思うわけです。

 戦争に巻き込まれる者も、平和に暮らす者と同じ人間です。だからこそ、極限状況の下で、それでも人間として生きた証を残すことを求める。その願いの重みこそが、ラストシーンにつながるのでしょうし、このストーリー全体に深みを与えています。

 個人的には非常に読みごたえのある、また読後のインパクトも残る作品でした。できることなら、モンゴル抑留に関するストーリーもぜひ読んでみたいものです。ゴルゴ13シリーズになってくれれば、この件に関心を持ってくれる人々も増えるはずなので。

*1:モンゴル語で「戦争」はдайнだが、「ハルハ河」に関してはбайлдаанという別の単語がしばしば用いられる