3710920269

「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

シリーズ土佐の駅(4)土佐大津駅(JR土讃線)

 高知駅から、今度は高知市内を東へ。いちばん端にあるのが土佐大津駅。普通しか止まらない無人駅です。

 

f:id:minato920:20150630194509j:plain

 

 黄昏時。

 都会では夕方のラッシュ時ですが、この駅にいるのは下校中の学生ぐらいです。

 

f:id:minato920:20150630194524j:plain

 

 土佐大津駅は上り下りの行き違いができる駅です。ホームも分かれていて、跨線橋が通じています。

 線路敷に残る舗装は、かつて構内踏切だったのでしょう。今はフェンスで閉じられていて、渡ることはできません。

 

f:id:minato920:20150630194518j:plain

 

 静かなホーム。

 ところで、2つの線路を見比べてみてください。何か気づいた点はあるでしょうか?

 奥の線路には、古い木の枕木が敷かれています。一方の手前を見ると、まだ新しいコンクリートの枕木です。

 日本の鉄道は原則左側通行。単線で上下行き違いのできる駅でも、列車は左側の線路に入るのが基本です。

 ただ、特急の走るような路線の場合、どちらか一方の線路を高速で通過できるようにして、上下に関わらずそちらを走り抜けるようになっているところがあります。一線スルー方式という方法です。

 土佐大津駅の場合、本来下り列車用の南側線路を、通過列車が走るように整備しているのです。ただ、南側には駅舎があって、こちらのホームだと跨線橋を渡らずに済むので、行き違いがない場合は上りの普通列車も南側線路を使うようです。

 

f:id:minato920:20150630194528j:plain

 

 「高知線の歌」のプレート。高知のJRの駅ではしばしば見かけます。

 「高知線」は現在の土讃線ですが、もともとはこのように呼ばれていました。当初は鉄道省(のちの旧国鉄)のどの路線ともつながっておらず、現在の名前になるのは、高松・徳島からの区間と直結してからのことです。

 ここで土佐大津駅と東隣の後免駅が歌われています。「国司別離」とは、この大津から都へと船出した紀貫之の故事にちなんでいるのでしょう(青空文庫より『土佐日記』

 

f:id:minato920:20150630194531j:plain

 

 時代は1000年余り下った今、私は列車で西へ。土佐くろしお鉄道から乗り入れてきた車両に乗り込み、高知方面へと発っていきます。