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「地域」研究者にして大学教員がお届けする「地域」のいろんなモノゴトや研究(?)もろもろ。

「モンゴル社会研究」の欠乏(4)「モンゴル研究の新たな色」を読む

 モンゴルの経済・政治評論家、ジャーナリストとして各所で活躍するD.ジャルガルサイハン氏が"Jargal de facto"というサイトを開設していて、その中で毎週コラムを書かれています。そして先月末のタイトルが「モンゴル研究の新たな色」(Монгол судлалын шинэ өнгө)というものでした。これはロンドン大学でのモンゴル研究の新たな動きを紹介するものですが、同時に世界のモンゴル研究の現状を示すものでもあります。英語でも読めますが、このシリーズの内容にも合うものですので、モンゴル語版を和訳してご紹介したいと思います。以下、本文です。

  最近までモンゴル研究は、我が国の歴史、文化、風俗習慣、宗教、シャーマニズム、ツァータン*1の生活など、テーマが限定されていた。

 しかし、モンゴルの経済や社会の現状に生じてきた変化や改革を文化人類学の面から研究すべく、ロンドン大学(UCL)*2の研究者が全く新しいプロジェクトを最近開始した。このプロジェクトは欧州研究会議(ERC)から資金が拠出されており、アメリカ、オーストラリア、イギリス、ドイツおよびモンゴルの研究者や博士が活動すべく袖をまくっているところである。

 我々モンゴル人もまた、民主革命*3の後に始まった政治・経済・思想における25年間の変化の過程を回顧し、どこでどのような結果が生まれたか、どのような新たな挑戦に直面しているのかを評価している時期に来ており、この研究はその時期と重なっているのである。

 

新たな経済

 われわれは経済成長の持続性について、国内総生産鉱業生産と輸出、外国投資、価格水準などの指標によって理解してきた。

 我が国の経済は世界を驚かせたほど急速に成長したが、モンゴルの世帯それぞれが成果を得ることができていないということについて、われわれはいつも話している。

 一方で、この研究チームはモンゴル国立大学の学者と合同で、経済の変化がモンゴルにおける日常の生活や意識にどのような影響を与えているか、主にどのような傾向が生じているのかを研究するものである。彼らの研究は、何よりも所有形態、銀行サービス、融資の条件、鉱業および商業部門の変化が都市と遊牧地域の生活条件にどのような影響を与えているかという問題に支えられているとのことである。

 このような研究の新たな方向性は、現代のモンゴル国、モンゴル人に関する具体的な情報を外国に届け、政治・経済における決定を出す際に、われわれにとって助けとなるものである。

 一般市民がどのような事業を行い、どのように利益や収入を得るのかを選ぶ際には、社会で生じている新たな情報、新たなイニシアティヴ、新たな価値がどのような影響を与えているのかを理解することもまた助けとなる。人それぞれの選択が、社会・政治関係の形成や環境にどのような結果をもたらすかを、かなり深く観察し、重視することになる。

 世界の多くの国々における政治的な意思決定者は、かつては発展や進歩が最も約束された経済モデルの見直しや改善について語っている。モンゴルの経済において今多く起こっている出来事は、開発途上国において資本主義が全く新しい形で形成されていることを示す新たなモデルとなっている。

 数年前に経済の驚異的な成長を実現した政策が、今日では単に経済のスピードを急激に鈍化させ、カネの価値を無に帰し、外国と自国に対する大規模な債務を残すに至った本質となっていることを理解する際に、このプロジェクトは手助けとなる。

 

研究の新たなテーマ

 プロジェクトのメンバーは、モンゴル国に全く新しい経済が形成されており、その過程で民族学研究にとっての全く新しい対象が生み出されている点を強調している。新たなモンゴル人がそれに続いて生み出され、社会の新たな関係やつながりが生まれる。

 これら全てを研究する際には、財産および所有レジームの変化、商業関係(性別による違いの解明)、銀行・信用市場および生活形態に対する規制の中心、鉱業部門の社会・環境における比重、環境及びナショナリズム運動という5つの方向に集中することになる。

 これらの研究の成果によって、新たな価値観の発展や変化が今後将来を観察するための方法論を生み出す。これにより、モンゴルの経済が現在の人々をどのように変化させ、また経済自体をどのように変化させているか、将来を新たに予想して実現する際にどのような影響を及ぼしているかを明らかにすることができる。

 数年後には、研究成果が理論面において一定の基礎となる可能性を得られるものと、プロジェクトメンバーは語っている。一方で、現状ではモンゴルの新たな経済がグローバル資本主義の一形態、もしくはその代わりとなる新たな形態であることについて、理論的にはいかなる結論を下せる可能性もない。経済は社会生活の他のすべてのものから切り離せるものではなく、むしろ非常に密接に絡み合い、関係づけられていることが見て取れるものである。

 この研究の成果によって、どのような経済を希望するのか、それをどのように実現するのかについて、人々が一定程度理解できるようになるであろうと、プロジェクトメンバーは見ている。

 モンゴル研究の新たな始まりについて、簡単に紹介した。

ーーーーー(訳ここまで)ーーーーー

 いささか長く、複雑な文章も多かったですが、こんな風になりました。例によって間違い等あるかも知れませんが、その際は優しく(ココ重要)教えてください。

 この文章を読んで思ったことはいくつかあります。まず、モンゴル研究が人文学に偏っているという見方は日本に限らないのだなと。ジャルガルサイハン氏の見方が全てではありませんし、反論ももちろんあり得るでしょうが、モンゴルでも活動的なジャーナリストがこのように見ていることを知ることは、ときにアカデミズム内のモノの見方に囚われてしまう研究者にとっては大事なことです。そのような見方があるからこそ、経済・社会に焦点を当てたプロジェクトが新しいものとして映る、という点も理解すべきでしょう。

 2つ目に、経済・社会がテーマと言いながら、文化人類学者が中心という点が気になりました。社会科学者の姿が見えないのです。この辺の背景は分かりませんが、「本職」の研究者が関わらない、関われないとすれば、この研究が経済・社会の研究としてどの程度の価値を得られるのかには疑問が生じます。少なくとも、社会科学の理論に対するインパクトを与えるのは厳しいでしょう。

 そして3つ目。研究にはさまざまな国からメンバーが加わるようですが、その中に日本の研究者がいない。これは私自身の力不足や知名度の無さを示すことでもあり、その点では忸怩たる思いがあります。ただそれも加えて、日本のモンゴル研究の今後を考えると、日本の研究者が世界のさまざまな動きに加われないのは残念です。

 日本のモンゴル研究は世界的に見て高い水準にある、というのはよく聞きますし、少なくとも現時点では私もうなづくところです。ですが、これからモンゴル研究が世界に広がっていけば、総体的な水準の高さをいつまでも維持できる保証はどこにもありません。世界の流れに乗る、あわよくば流れを起こすための取り組みは必要ですし、モンゴル研究において経済や社会研究が世界的に見ても新たな流れなのであれば、社会科学を基にモンゴル研究を行う者がその中にどのように加わるのかを考えなければいけません。

 

 なお、ここで紹介されたプロジェクトについてはUCLのサイトでも紹介されています。下記のリンクは英語ですが、そこからモンゴル語のページにも飛べます。

Emerging Subjects of The New Economy

*1:モンゴルとロシアとの国境地帯に主に居住するトナカイ遊牧民

*2:訳者註1:ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン

*3:訳者註2:1989年から1990年にかけてのモンゴル民主化運動