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「モンゴル社会研究」の欠乏(3)日本モンゴル学会発行雑誌にみる社会研究の所在無さ

 続き物のエントリとして番号を振っておきながら、(2)の更新から何ヶ月も間が空いてしまいました。この間続きを書きたい思いはあったのですが、「『モンゴル社会研究』の欠乏」という状況をどうすれば実証的に示せるのか、というところで悩んでいたのが実状です。ただ、十分かどうかはさておき、1つその手がかりとなりそうなデータを得たので、久しぶりになりましたが書いてみようと思います。

  日本のモンゴル研究者の集まりとして、日本モンゴル学会は最も代表的なものと言えるでしょう。「モンゴルを研究対象とする○○学者」というように、アイデンティティとして「○○学」に重きを置く研究者(下手をするとモンゴル学者より多いかも知れません)なら話は別ですが、「モンゴル学」をアイデンティティとしている(かつ専門の学問領域を持っている)日本の研究者であれば、この学会と何らかのかかわりは持っているはずです。

 その日本モンゴル学会は、1971年以来学術雑誌を刊行しています。誌名は『日本モンゴル学会會報』『モンゴル研究』*1から現在の『日本モンゴル学会紀要』と変転を経て、今年第45号が発行されました。学会同様、日本のモンゴル研究を代表する存在です。

 ですので、この学会誌の中で、モンゴル社会研究がどのような位置を得ているのかを示せば、日本におけるモンゴル社会研究の置かれた状況を示すことができるというのが私の思いつきです。そこで、同誌の創刊号から最新号に至るまでに掲載された研究のタイトルを調べ、内容を分類してみました。

 タイトルについては、18号から45号まではCiNiiの検索で、それ以前のものは2000年の『日本モンゴル学会紀要』第30号に掲載された「日本モンゴル学会『会報』『モンゴル研究』『紀要』掲載文献目録(年代順・掲載順)」で全て把握しております。ただし、国際学会の報告や挨拶文、追悼文など、明らかに研究成果の報告と異なるものは除外しております。

 また分類方法は、昨年の11月に行われた駐日モンゴル大使館・モンゴル学会共催のシンポジウム「日本におけるモンゴル研究の現状と課題」での報告テーマに沿って行いました。具体的には、報告テーマとなった言語、文学、歴史、文化人類学、経済・社会、生態環境学(草地)、動物生産科学(乳・乳製品)に加え、これらのどれにも分類できないものを「その他」としております。

 これをご覧の方には、社会科学・自然科学分野の分類があまりにも雑過ぎるとお思いの方もおられるでしょう。その意見は当たっていると私も思います。ですが、この分類は日本のモンゴル学の主な分野としてどのようなものがあるのか、日本モンゴル学会が考えた結果と見ることができます。でなければ、これらのようなテーマで報告者を探すことはないはずです。それだけに、この分類を用いることで、日本のモンゴル学におけるさまざまな分野の立ち位置を示すことができる、というのが私の考えです。そして、この時点で社会研究の位置の弱さを見て取ることができるのです。なにせ経済といっしょくたで、その経済の方が前に出ているのですから(もっとも、言葉すら出てこない分野もありますが。政治とか…)

 その上で、学会誌に掲載された各研究を分類したところ、以下の結果となりました。

 

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 グラフに示されている数字は分類ごとの研究の数です。ちなみに分類対象となった研究の数は合計261本です。「その他」が非常に少ないことからも、この分類に妥当性が十分あることを理解していただけると思います。

 で、グラフを見れば一目瞭然ですが、「経済・社会」は一番数が少ないです。率で言えば3.1%でしかありません。今回の分類は私一人がタイトルを基に行ったもので、間違いはあるかも知れませんし、本文まで読めば別の分類になるものも出てくるかも知れません。ですが、おそらく大勢に影響はないものと思います。

 ここで、「経済・社会」に分類された研究を見てみると、さらに厳しい現実が浮かびます。以下、それらの研究を全てリストします。

後藤冨男(1971)「モンゴルの人口」『會報』第2号、2ページ。
山本英二(1991)「モンゴル国の金融改革についての一考察」『紀要』第22号、151-164ページ。

由川稔(1993)「モンゴル国における国有財産の私有化と企業の民営化について」『紀要』第24号、21-32ページ。

山本英二(1995)「モンゴル国経済改革を考える」『紀要』第26号、45-61ページ。
山本英二(1997)「モンゴル国経済における物価問題」『紀要』第28号、65-82ページ。
栗林純、大里貴志(2005)「モンゴル国における地域経済格差問題」『紀要』第35号、57-71ページ。
Maqsooda, S. (2013) Women's Political Participation in Mongolia.『紀要』第43号、19-28ページ。
ジュドウ・オドスレン(2013)「モンゴルのガバナンス : 外部評価と現実」『紀要』第43号、3-18ページ。

 

 8件のうち6件が経済に関するものです。社会研究と言えそうなものは後藤(1971)とMaqsooda (2013)ですが、後藤先生は歴史研究がご専門ですから、「モンゴルの人口」というタイトルとはいえ、現代のモンゴルに関する研究という保証はありません。となると、261件掲載された研究のうち、モンゴルの社会を直接の対象とした研究と言えるものは、たった1件しかないことになるのです!

 さらに言えば、これら8件の研究が「モンゴル学」をアイデンティティとしている社会科学者の研究に該当するのか、という疑問は出てきます。第2回のエントリで私が述べた「既存の社会科学体系の応用や、それらの体系への貢献を優先するものではなく、それらの体系の区分を超えて『モンゴル』への理解を目指そうとする」研究なのかも疑問になります。このうち、前者についてはほぼすべて該当すると言えるでしょうが、後者については現時点で調べようがありません。そう考えると、モンゴル学における社会研究、あるいは社会科学研究に広げたとしても、その所在の無さは明白と言わざるを得ません。

 もちろん、モンゴル研究に関する学術誌(あるいはそれに近いもの)は他にもありますし、そちらでモンゴル社会研究が掲載されている事もあります。それらの中に、「モンゴル学」をアイデンティティとしている社会科学者の研究や、社会科学の一応用分野ではなく、モンゴル学としての社会(科学)研究を見出せる可能性はあります。機会があれば、今後この企画でそれらの研究を取り上げて行ければと思います。

 ですが、それらは日本におけるモンゴル学の主流とは関係のないところに位置している。同じモンゴルの研究でありながら、両者が断絶している。ここが私にとっての問題なのです。その理由は何なのか?今後どうすればこの断絶が解消できるのか?あるいは、そもそもこの断絶は問題なのか?問題であるならば誰かが解決に取り組むはずで、そういう動きが見えないということは、この断絶を「問題」とする理由はないのではないか?今後この辺りについて、調べていきたいと思います。が、書けるかなぁ……

*1:「モンゴル研究会」という別の団体が同名の雑誌を出していますが、それとは異なります。そちらについても、いつか書く機会があるかと思います。