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人には添うてみよ、馬には乗ってみよ、酒には酔うてみよ。

「モンゴル社会研究」の欠乏(2)「モンゴル研究」としてのモンゴル社会研究

モ国 けんきう

 第1回の投稿から間が空いてしまいました。他にやるべきことがあったことも確かですが、自分で設定したテーマの大きさに自分で気後れしてしまった、というのも正直なところです。

 とはいえ、第1回を書いてしまった以上、何とかある程度は書き続けていかないといけないとは思っています。今回は、私が欠乏していると考える「『モンゴル研究』としてのモンゴル社会研究」とはどういうものか、そのイメージを示しておきたいと思います。

 モンゴルを対象とした社会科学研究にはさまざまなものがありますが、それらは大きく2つに分けることができると考えています。

 1つには、既存の社会科学の応用・実証先として、モンゴルを対象に選んだ研究があります。イメージとしては、社会科学を専門とする研究者が、モンゴルの現実の中からそれぞれの学問領域に合致する部分を切り取って研究を行うということになります。例えば、経済学者がモンゴル経済を、政治学者がモンゴル政治を、社会学者がモンゴル社会を……という形で、それぞれ研究するということになります。

 この場合、問題意識としては、経済であれ政治であれ社会であれ、研究者が切り取った部分の解明が優先することでしょう。あるいは、それぞれの学問における理論やモデルが、現実の経済・政治・社会を説明するのにどれだけ有効かという検証、あるいは有効性に問題が見つかったとすれば、理論・モデルをどう修正すべきかというフィードバックを行うというものもあります(もっとも、その場合は普通欧米や日本など、先進国を選ぶことが多くなるでしょうが…)。

 これらを極論すれば、モンゴルの経済・政治・社会等、それぞれの研究者が専門とする領域のみにおけるさまざまな現象について、解明に集中したり、あるいは理論・モデルを磨くために用いるということになるかと思います。

 一方、このような研究とは別のものもあり得ます。それは、経済であれ政治であれ社会であれ、その他の考え得る領域であれ、モンゴルの特定の領域だけの理解にとどまることを良しとせず、「モンゴル」全体の理解を目指そう、「モンゴル」の総合的なイメージを描こうという立場での研究です。

 この場合、研究者がよって立つのは社会科学の理論にとどまりません。モンゴルの歴史、言語、風俗習慣、およそモンゴルに関わるありとあらゆる情報・知識・理解が、研究を行うための基盤になり得ます。

 もちろん、個々の研究者が単独で総体的なモンゴルのイメージを描ききったり、モンゴルに関する情報・知識・理解をすべて得ることは、極めて難しいことです。ですから、得てして描くイメージが断片的になったり、完全ではない情報・知識・理解を用いたりすることにはなります。場合によっては、異なる専門を持つ研究者が共同で、このような研究作業に取り組むこともあるでしょう。

 ですが、重要なのは、それぞれの研究者が既存の社会科学の枠組みにとらわれずに研究を行うという点です。経済を分析する際に、既存のテキストで出てくるような変数だけではなく歴史的背景や地域性を考慮に入れたり、政治に関する研究と社会に関する研究を同じ研究者が行ったり、例はいろいろあり得ますが、問題意識としては個々の学問領域を超えて「モンゴル」を研究すること、さらには「モンゴル」への理解につなげていくことが主になってきます。

 今述べた2つの分類は、必ずしも排他的なものではありません。あらゆる研究がどちらか「だけ」に分類されるわけではなく、両方にまたがるもの、どちらか判断がつかないものはあり得ます。あくまでも、2つの傾向が大まかに考えられると思っていただければと思います。

 さらに、社会学に基づく研究については若干の補足が必要と思われます。社会学自体が扱う研究対象が経済や政治等、他の研究分野にもいくらでも拡大し得る(実際拡大している)ものです。そうである以上、そのような研究については今述べた二分法がそもそも成立しないのではないか、という疑問は生じます。

 ですが、社会学といっても実際には経済学や政治学同様に、家族社会学、都市社会学、社会階層論、数理社会学、国際社会学…などと細分化されているわけで、研究者の多くはそれぞれの領域について研究を行っているわけです。

 とすると、例えば家族社会学者がモンゴルの家族について理解することに集中するか、あるいは家族を超えたモンゴル社会やモンゴルの総合像を描くことに関心を持つかという区別はあり得ますし、そうなるとやはり先の二分法が有効となるわけです。

 これらを踏まえた上で、私が「『モンゴル研究』としてのモンゴル社会研究」と呼ぶのは、2つの分類のうち後者のものです。つまり、既存の社会科学体系の応用や、それらの体系への貢献を優先するものではなく、それらの体系の区分を超えて「モンゴル」への理解を目指そうとするものです。

 あるいは、モンゴル社会研究の2つ目の分類を見て、これはひょっとして「地域研究」と呼ばれるものではないか、と思われた方もいらっしゃるかも知れません。確かにその通りで、後者を「モンゴルを対象とした地域研究」と呼ぶことも十分可能であると私は考えています。

 そして、私が欠乏していると考える研究は、まさにこのような研究なのです。

 しかし、本当にそうなのか?あるいはそうだとしたら何故なのか?という疑問は当然あることでしょう。この辺について、次回以降で論じていきたいのですが、あまりにも大きな問題、はたして私の手に負えるのか、ますます心配ではあります……